ブルーバックス
『分子レベルで見た触媒の働き』
反応はなぜ速く進むのか
松本吉泰=著

メニューページはこちら

触媒はなぜ「触媒の働き」をすることができるのか?

 化学反応には、自分は変化しないにもかかわらず、反応を進める触媒の存在が重要です。しかしこれまで触媒がなぜ「触媒の働き」をするのかは、ほとんど分かっていませんでした。本書では、最新の表面科学によって解き明かされつつある触媒が働く仕組みを分かりやすく解説します。

はじめに

 近代的な物理や化学の基礎がまだ完成されていない19世紀、好奇心あふれる科学者たちは身の回りで起きるいろいろな不思議な現象の本質を解明しようとしていた。ドイツの化学者デーベライナー(Johann Wolfgang Döbereiner)は、白金の微粉末に水素を吹きかけると、低温でも燃焼することを発見した。彼はこの現象を利用して「デーベライナー・ランプ」といわれるランプを製作している。

 一方、酵母によって糖からアルコールができることは古くから知られており、19世紀半ばには、でんぷんがアミラーゼによって分解されることが報告されている。このような化学反応を起こす物質は、ドイツの生理学者であるキューネ(Wilhelm Kühne)により「酵素」と命名された。

 これらの現象における共通点は、白金も酵素も化学反応の前後でまったく変化しないということである。

 スウェーデンの化学者であるベルセーリウス(Jöens Jakob Berzelius)は、1835年に「これらの無機物質や有機物質で、共通に見られる化学作用を発現する新しい力の本質は、まだ自然により巧妙に私たちの目の前から隠されている。そこで、これに触媒作用という用語をあてよう」と記している。この「触媒」という用語は英語では catalyst 、触媒がおよぼす化学的作用のことを catalysis という。catalysis はもともとギリシャ語の溶解という意味を持つ語に由来している。彼がどうしてこの語を選んだのかは必ずしも明らかではないが、「自分自身は変化しないが、それと接触する物質に化学変化を起こさせるもの、およびその化学的作用」として触媒と触媒作用を定義している。日本では明治時代に翻訳するにあたり、「触れるだけで、自分は変化しないのに相手を変化させるもの」という意味で触媒と命名されたようだ。

 さて現在日本の高校では、触媒を「それ自身は変化しないが反応の速度を大きくする物質」あるいは「反応の前後でそれ自身は変化しないで、活性化エネルギーを減少させる物質」と教えているようである。

 確かにこれらは、触媒の定義として間違ってはいない。しかし、この定義といくつかの触媒反応を知っただけでは、触媒の理解には到底至らない。19世紀にベルセーリウスが発した問い、「触媒作用の本質はいったい何か」ということに対して、その後の研究により触媒作用の理解がどのように進んできたかを、21世紀に学ぶ高校生は知らずに卒業してしまう。そして、残念ながら化学系に進学した大学生においてもこの状況はさほど変わらない。

「活性化状態」とは具体的にいったい何なのか、またそれを変化させる原因は何か、反応の途中で触媒はまったく変化しないのかなど、少し考えるといろいろな疑問が湧いてくるにもかかわらず。

 物事の理解には種々のレベルがある。単に形式的な定義のみを知って、分かった気になる人もいるだろう。しかし化学反応というのは化合物である分子がそれを構成する原子の結合を組み換え、新しい化合物に変化する過程である。したがって、これに関わる触媒の働きは、やはり「原子・分子のレベルでどうなっているか」を知ることこそが、真の意味での理解という言葉にふさわしい。

 そこで本書は、触媒やその作用を分子レベルで解明するために行われてきた研究の歴史を振り返りながら、触媒の働きの真の理解を目指す。

 私たちの身の回りにはいろんな触媒作用がある。いや、むしろ「触媒作用に満ち溢れた世界」の中で生きているといっても過言ではない。その中でも人間の生活に最も大きなインパクトを与えた触媒反応を一つ挙げるとすると、それは「ハーパ一‐ボッシュ法」とよばれる、窒素と水素からアンモニアを合成する反応であろう。「空気からパンを作った」といわれる程に、20世紀初頭の人類の食糧危機を救った偉大な方法である。そこで、本書の主題の一つで、ある触媒研究の代表例として、まずこの方法とその開発に関わるハーパーとボッシュの物語から始めよう。そして、本書のもう一つの主題である、触媒反応の分子レベルでの理解を目指した「表面科学」という研究分野の導入として、ラングミュアという科学者のことを話そう。

 ようこそ、触媒の世ー界へ。

著者 松本吉泰(まつもと・よしやす) 
京都大学工学部卒、同大学院修士課程修了。東京大学工学博士。米国ピッツバーグ大学博士研究員、理化学研究所研究員、自然科学研究機構分子科学研究所・総合研究大学院大学助教授、教授を経て、現在、京都大学大学院理学研究科・教授。専門は分光学的手法による固体表面・界面、光触媒、有機半導体における構造と超高速過程の解明。2006年日本化学会学術賞受賞。趣味はヴィオラ演奏。

 
『 分子レベルで見た触媒の働き 』
反応はなぜ速く進むのか

松本吉泰=著

発行年月日: 2015/06/20
ページ数: 240
シリーズ通巻番号: B1922

定価:本体  900円(税別)
     ⇒本を購入する(Amazon)
     ⇒本を購入する(楽天)

 
(前書きおよび著者情報は初版刊行時点のものです)