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「菊のタブー」を解く 三笠宮家 母と娘「愛と憎しみ」の10年 逝去から3年、「ヒゲの殿下」一家に何が起きていたのか

子供を精神的に追い詰める「毒親」が世間で話題になっている。そんな中、日本の皇室では、母と娘の長きにわたる葛藤が明らかになった。その舞台は多くの人に愛されたはずの「三笠宮家」だった。

不和を隠さない娘

「私も10年ほど、母とは会っておりません」

三笠宮彬子女王(33歳)本人からこう聞いて、臨済宗相国寺派管長の有馬賴底氏は心の底から驚いたという。

「私は寬仁殿下とは非常に親しくしておりました。'84年にはご夫妻で京都へ来ていただいたこともありますし、食事を一緒にしたこともありました。殿下はお酒が好きでしたから、一緒に飲んだこともあります。

こうしたご縁がございましたので、'12年に66歳で寬仁殿下がお亡くなりになられてから、彬子さまより『京都の東山文化を研究したい』とのお申し出があり、昨年まで銀閣寺の研修道場で美術研究員として勤務していただいたんです」

その頃、有馬氏が彬子女王に実母・信子妃(60歳)との関係を尋ねたところ、冒頭のように答えたという。

「彬子さまには、信子妃殿下と疎遠になっていることを隠すご様子はありませんでした。ただ、実のお母さまですからね……。人の家庭のことをとやかく言えませんが、この発言には正直申し上げて、私も『えぇ!?』と驚きました」

「ヒゲの殿下」として多くの国民に親しまれた三笠宮寬仁親王が逝去してから、3年が経った。命日である6月6日には、天皇・皇后以外の皇族専用の墓地、豊島岡墓地にて「三年式年祭」が執り行われたばかり。三笠宮家にいったい何が起きているのか—。

寬仁親王と信子妃が結婚したのは、'80年のことだった。

「信子妃殿下は麻生太郎副総理の妹で、父親の太賀吉さんは『麻生セメント』の創業者。また、母親の和子さんは吉田茂の三女という、華麗なる一族の出身です。

寬仁殿下は太郎さんと非常に親しく、よく酒を飲む仲だったといいます。殿下に妹の信子さんとの結婚を勧めたのも、太郎さんです。殿下は何度も信子さんにプロポーズをしたのですが、その度に和子さんが『娘には心身に障害がございますから、妃殿下はとても務まりません』と断られたそうです」(皇室ジャーナリスト・松崎敏弥氏)

最初のプロポーズから7年後、寬仁親王はようやく信子妃の両親を説得し、二人は結ばれる。翌'81年に彬子女王が、その2年後に瑶子女王(31歳)が誕生した。

寬仁親王は、「皇籍離脱発言」などで物議を醸しつつも、皇族としてスポーツ振興や障害者福祉の分野で活発な活動を続けた。多くの国民の目には、三笠宮家は愛情に溢れた「幸せな家庭」そのものに見えたはずだ。