旧日本軍の将兵たちはあの戦争をどう振り返ったか
7年の歳月をかけて戦争体験者の肉声を追った亀井宏氏に聞く

戦後70年特別企画
亀井宏「将兵たちが語った戦争の真実」

和歌山県新宮市在住の亀井氏。海岸にて太平洋をのぞむ

亀井氏が著した戦記ドキュメンタリーは、今日では誰も成しえない、不朽の名作である。昭和40年代、旧日本軍の将兵たちがまだ存命だった頃に直接取材を果たし、書き上げたものだからだ。その亀井氏に当時の取材背景を聞いた。(撮影/霜越春樹 構成/松木 淳)

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――亀井さんは1970年に『弱き者は死ね』で小説現代新人賞を受賞されました。その後、1974年に『あゝ軍艦旗 さきもりの歌』(のちに『ミッドウェー戦記』に改題)、1980年にこの『ガダルカナル戦記』を上梓されています。小説というフィクションから戦記文学というノンフィクションに移行された経緯は、どのようなものだったのでしょうか。

小説現代新人賞を受賞したころ、私は和歌山県の新宮にいて、父親が駅前で経営していた食料品店を手伝っていました。そうしながら空いた時間に小説を書いて、東京の出版社に投稿するという生活を送っていました。でも、もう30代半ばになっていましたから、作家になる夢はあきらめて家業に専念するかと思い始めた矢先に小説現代新人賞をいただいたんです。

こうなったらもう少し頑張ろうと思い直して、創作の拠点も東京に移すことにしました。上京する際、大阪に友人がいたものですから、その友人に会って旧交を温めてからでも遅くはないと、大阪に寄りました。それで、その友人とも会うことができて、2、3日過ごしていたんですが、なんか居心地がいいんですね。そのうち、もう東京はいいや、大阪で暮らそうということになってそのまま居付いちゃったんです。

私の戦記二作品には母体ともいうべき企画がありまして、何年か前に休刊(註・2002年に休刊)となった大阪新聞の連載記事がそれにあたるんですが、大阪で暮らしてすぐにこの連載が始まって、1年半くらい続いたかな、とにかく真珠湾攻撃に始まる太平洋戦争の全史をやろうという企画でした。この連載を光人社の牛嶋義勝さんがご覧になって、ミッドウェー海戦にフォーカスしたものを雑誌「丸」に連載しないかと言ってくれたんです。『ミッドウェー戦記』はその連載をまとめたものです。

当時、レイテ島の戦いは大岡昇平さんが『レイテ戦記』を、インパール作戦は高木俊朗さんが「インパール」五部作を出していた。でもガダルカナルの戦いはまだ誰も手掛けていなかったんです。物書きの業といいますか、未踏の領域をものにしたいという気持ちが湧いてきて、『ガダルカナル戦記』に取り組むことになったんです。

『ガナルカナル戦記(一)(二)』
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――大阪新聞の連載企画は亀井さんが立案されたのですか。

いいえ、違います。話は戻りますが、小説現代新人賞というのは、当時から非常に権威があったんです。その受賞者が新宮から出たということで近畿圏の地方紙何社かが私のところに取材に来たんですね。そのなかの1人に大阪新聞の文化部の記者で、私と同姓の亀井巌夫さんという方がいたんです。その亀井さんから、太平洋戦争をテーマにした連載の企画があるからやらないかと。もともと書き手は別の人に決まっていたんですが、その人がキャンセルしたから、ぜひ引き受けてくれという話でした。

だから、人生って不思議だなと思いますね。私が小説現代新人賞を受賞しなければ亀井さんと出会うこともなかったし、大阪に居付かずに上京していたら大阪新聞からの依頼はなかったろうし、もともと決まっていた書き手がキャンセルしなければ私にお鉢が回ってくることもなかった。第一、私自身が太平洋戦争についてまったく関心がなかったくらいですから。その私が戦記ものを出版することになるとは、そのときは夢にも思わなかった。