安全保障法制見直し論議。憲法学者の見解は絶対なのか

安倍首相も、まさか3人の憲法学者全員が「違憲」と示すとは思わなかったはずだ

 安全保障法制の見直しについて、3人の憲法学者が国会で「違憲」と断じたのをきっかけに憲法論議が再燃している。だが、違憲かどうかを決めるのは学者ではない。最高裁判所だ(憲法81条)。そこで最高裁の砂川判決(1959年)をあらためて読み直してみよう。

「専門家」の権威に弱い日本人

こういう作業はともすれば、プロの裁判官や弁護士など専門家にお任せすべき仕事と思われがちだ。とりわけ新聞記者やジャーナリストがそうだ。普段は「自分が一番事情に詳しい」とうぬぼれているくせに、こと法律とか判決になると、からきし「専門家」の権威に弱い。

私は40年近く新聞業界にいるが、ちょっと専門的な話になると「先生のお説を賜ります」とへこへこする記者が多いのにあきれている。司法記者はとくにそうだ。自分の頭で判断できないのだ。だから、一見もっともらしく書いている司法記事や社説は、たいてい「専門家」から聞いた受け売りである。

とりわけ左派系マスコミはここぞとばかり、左派系論者を動員し、自分たちもそれに追従して論陣を張っている。もともと安保法制論議では長谷部恭男・早大教授も小林節・慶大名誉教授も左派系マスコミの御用的存在だった。彼らの議論はずっと前から同じだが、国会で意見を述べたとたんに大注目されるのは、マスコミの歪んだ権威主義の裏返しである。

そもそも安保法制のような案件で、憲法学者の説をありがたく賜っていること自体が日本の危機ではないか。憲法学者の議論が無駄とは言わないが、憲法の専門家が日本を脅かしている脅威を正しく判断し、それへの対応策を立案できるわけがない。

彼らの多くはひからびた法律知識を金科玉条のごとく抱きしめて、それを学生たちに講義するのを職業としている。「ひからびた」というのは、文字通りだ。なぜなら憲法は制定以来、一度も改正されていない。

その間、日本を取り巻く安全保障環境は激変し、ここ数年はとりわけ大激動している。にもかかわらず、憲法は変わらず、したがって憲法学者の頭の構造も変わっていない。そういう学者の説にしたがって、日本の安全保障政策を考えようという姿勢自体が日本を危うくする。私はそう思う。

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