賢者の知恵
2015年06月03日(水) 公文 紫都

大手芸能プロダクションを辞め渡米。モデルではなく「俳優」としてニューヨークで挑戦---俳優・本田真穂【前編】

ニューヨークを舞台に「挑戦」する日本人

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俳優・本田真穂さん

ニューヨークを舞台に"挑戦"する日本人をご紹介する当企画。ニューヨーク在住のフリーライター・公文紫都が、さまざまなジャンルの「挑戦者」に話を聞いています。第一回は、俳優の本田真穂さん。大学生の頃から大手芸能事務所・オスカープロモーションに所属し、雑誌やCMのモデル活動、ドラマ出演などを行ってきましたが、安定していた日本での芸能活動を辞め、自らの意思で2009年に渡米。世界一競争が激しいと言われるニューヨークで、俳優として挑戦するためでした。

以来、6年間で数々のオーディションを受け、現在はアメリカの人気テレビドラマに出演するなど、確実にキャリアアップを続けています。今はまだ「日本人」として配役されることが多いそうですが、これからの夢はコンプレックスを持っている英語を克服し、「アメリカ人(アジアンアメリカン)の役を勝ち取ること」。スカウトが絶えなかったという中高時代の話から、競争激しいニューヨークで仕事を続ける理由まで、俳優・本田真穂の挑戦を聞きました。

茨城から1時間半かけて都内へ。スカウトが絶えなかった中高時代

まだ寒さが厳しい2月末のニューヨーク。待ち合わせのカフェに、「ああ、この人に違いない」と確信せざるをえないほど輝きに満ちた、一人の女性が現れました。白い歯をむき出しにニッコリ笑うその姿で、一瞬にして人を惹きつける・・・。そんな魅力にあふれた女性が今日の主人公、ニューヨークを拠点に活躍する俳優の本田真穂さんです。

神奈川県川崎市で生まれた本田さん。幼い頃は公害病を起因とする小児喘息に悩まされ、1ヵ月に4回も入退院を繰り返すなど病弱な体質でした。しかし、5歳の時に空気の良い茨城県に引っ越し、中学校に入る頃にはすっかり完治。恵まれた身長を生かし、バレーボール部で活躍しました。

中学時代は、東京での遊びも覚えました。当時はまだ「つくばエクスプレス」が運行していない時代。茨城県から都内に出るには電車で1時間半ほどかかりましたが、週末になると友人らと渋谷や原宿に繰り出しては、プリクラを撮ったり「109」で洋服を買ったり、学生らしい遊びに興じていたそうです。身長が高く目鼻立ちがはっきりとした本田さんは、さぞ都会でも目立つ存在だったことでしょう。中学・高校時代は芸能プロダクションからのスカウトが絶えなかったと言います。しかし当時は芸能界には入らず、受験勉強に精を出し、早稲田大学教育学部に入学しました。

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