岡島悦子×毛見純子×粟飯原理咲【第1回】「キャリアに正解はなく、自分に合った仕事の見つけ方のタイプを知ることが大事」
左から、毛見純子さん、本荘修二さん、粟飯原理咲さん、岡島悦子さん
本連載「明日をつくる女性起業家」のスペシャルイベントとして、5月11日講談社にて開催した「明日をつくる女性起業家に学ぶ、先の読めない時代を生き抜く新キャリア論」。本荘修二氏をモデレーターに、「レシピブログ」などの人気サイトを提供するアイランド代表取締役の粟飯原理咲さん、働く女性のための日本製ジャージードレスブランド「kay me」を展開するmaojian works代表取締役毛見純子さん、そしてリーダー人材開発やダイバーシティ向上支援の第一人者であるプロノバ代表取締役の岡島悦子さんをお招きし、変革の時代のキャリア戦略やアントレプレナーシップについて語っていただきました。

本連載記事、毛見純子さんはこちらから、粟飯原理咲さんはこちらからご覧ください。

「What=何を」という自分の答えを探し続けた

本荘: 今日は、これからのキャリア戦略とスタートアップをテーマにセッションを進めていきます。まず毛見さん、キャリアについてお聞かせください。

毛見: 大学を出てからすぐにベネッセに入社し営業職をしていました。ベネッセは出版業者でもあるんですが、顧客が学校法人ですから、教材をライトバンに積んで地方の学校を回るというような仕事で、山の中を走り続けて5年くらい勤めたあとに、2社目はプライスウォーターハウスクーパースという人材コンサルティングの会社に移りました。3社目はボストンコンサルティンググループで、経営コンサルティングの仕事をしていて、4社目に自分の会社を立ち上げたという経緯で、転職は3回しています。

本荘: 最初からこんなに転職すると思っていましたか? ちなみに学生時代には、馬車馬のようにサークル、学校、バイトに明け暮れたそうですね。その頃は、学校を卒業したあとのキャリアについて何かイメージがあったんですか?

毛見: 実際のところ、最初はそんなに転職をするとは思っていませんでした。私としては、呉服業を営んでいた祖母が子供のときから自分のキャリアのロールモデルだったように思います。責任を持って自分で事業をやっている祖母の後ろ姿が憧れの存在としてありました。でも、自分に何ができるのか、いつそういう姿に近づけるのか、何をやればいいのかについては明確な答えがありませんでした。「How=どのように」よりも先に、まず「What=何を」の部分がわからなかったんですね。

それがずっとわからなくて、いろいろな壁にぶつかりながらこれまでやってきました。最終的にはそうやって壁にぶつかり続けてきたことが答えに導いてくれたのかなと思っています。

本荘: 大学時代は、半分家出みたいな形で自活しておられたんですよね?

毛見: 私自身は3人姉妹の次女で、姉が3歳上にいるんですが、姉はいわゆる優等生タイプで、自分のアイデンティティをどこに見出していいのかわからなくなって、それが家を出て旅に出るきっかけになりました。

本荘: いろいろな選択肢がある中でなぜベネッセを選ばれたんですか?

毛見: 何かを自分一人でやるということについては大学時代からあまり自信がなかったんですが、チームでイベントのサークルを主宰していたんです。そこでの活動が、「自分のような人間ですらチームでやっていけば時間をかけて無からメッセージを作り出すことができるんだ」という実感になって、情報を作って人に何かを提供していく仕事がしたいというところで、ベネッセを一つのメディア業者ととらえて就職したんですね。

それからもう一つ、ベネッセに入るに当たって営業職にこだわったのは、やはり祖母の後ろ姿、物を作って売るという経験の数が多ければ多いほど、世の中に対しての貢献価値があると考えたからです。

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