読書人の雑誌『本』
ナチスが略奪した「財宝」を探せ!
消えたその数10万点。トレジャー・ハンターたちの挑戦

ナチスの財宝を探すトレジャー・ハンター photo Getty Images

ドイツ人とナチスの財宝

(文・篠田航一)

「宝探し」も大マジメにやる

ドイツ人は、マジメな人たちだ。

2015年4月まで4年間、毎日新聞社のベルリン特派員としてドイツで過ごし、仕事やプライベートで彼らと多くの時間を過ごしてきたが、大ざっぱに言ってそう思う。

もちろん、ふざけた人間も多々いるので一概には言えないが、出会った人々を思い浮かべると、親切で温和、公平で心優しい半面、あまり融通が利かず、頑固で、理屈っぽくて議論好き。そんな愛すべき知人たちの「マジメな顔」が次々によみがえってくる。

だいたい約束はきちんと守る。取材のいわゆるドタキャンもほとんどなかった。近年は欧州連合(EU)を牽引する経済大国の立場から、財政規律の順守を主張するメルケル首相が欧州の一般市民からはまさに「ドイツ人気質の典型」のようにみられているが、だいたい当たっていると思う。ちなみに、ドイツでは郵便物も日本同様、ほぼきっちり届く。

この辺りの国民性や気質についての文化論は数多いので、詳細は他に譲るとして、何を言いたかったかと言うと、ドイツ人は一見キワモノに思える「宝探し」まで、実に大真面目にやってしまう人たちだということだ。

私はベルリン特派員時代、ナチス・ドイツにまつわる財宝伝説を取材し、その内容を『ナチスの財宝』(講談社現代新書)にまとめさせて頂いたが、取材過程では「ああ、ドイツ人だなあ」と思う瞬間が実に多かった。

旧東ドイツの秘密警察も財宝を追っていた!

例えば旧東ドイツの秘密警察、通称「シュタージ」は、大真面目に宝探しをしていた。

1941年にドイツがソ連から奪い、1944年に英国軍の爆撃で燃えてしまったとされる至宝「琥珀の間」(18世紀にドイツで原型が作られロシアに寄贈された、壁や天井が全て琥珀で覆われた部屋)は、今なおその「行方」を巡って議論が続く。シュタージが残した公文書を閲覧すると、東独が驚くほど真剣にこの財宝の行方を追っていたことが分かるのだ。

工業国だった東独は東西冷戦期、確かに社会主義諸国の中でも経済的には「優等生」だった。とはいえ、西側に比べて格別に裕福でもない国が公式に予算を付けて探索するのだから、まさに「国を挙げて」取り組んだプロジェクトだったに違いない。

だが、国家ぐるみで追っていたのは、実は東独だけではない。西独だって真剣に宝を追っていた。首都をボンに置いていた当時の西独連邦議会の議事録を閲覧すれば、ちゃんと西独政府が「琥珀の間」の所在確認に努めていた事実が分かる。

では東西統一後のドイツはどうか。これも今なお、連邦議会(下院)議員まで務めたザクセン州の政治家が、地元で探索作業を続けている。その様子は今なおドイツの新聞で紹介される。