読書人の雑誌『本』
生き様もファッションも、昭和を破天荒に生きた画家・鴨居玲の知られざる姿
鴨居玲がアトリエを構えていたスペインのバルデペーニャス

死を見つめる男

(文・長谷川智恵子)

遅咲きの画家

画家・鴨居玲は、その生涯に何度も自殺未遂をした。人生に絶望するのではなく、ここで人生の幕を下ろしたほうが、自分という人間にとって格好いいと思い、自殺をしたくなるのだった。「死の美学」を持っていたのである。その一方で生きることへの未練も抱えており、結果、自殺未遂を繰り返した。

1985年9月7日、その鴨居玲が本当に自ら人生の幕を下ろした。この時は、さすがに病んでいた心臓が持たなかったのだと思う。それから今年で30年になる。

没後5年から、5年毎に各地の美術館で回顧展が開催されてきた。このような画家は稀有である。一般には、その作家の出身地の美術館が回顧展を一度してくれればいいほうであるが、鴨居玲には熱狂的なフアンがいる。それゆえ「鴨居玲」展は集客が見込めるので、美術館側も何度も開催したいのだろう。

没後25年のころからだろうか、展覧会場には多くの若者たちが、鴨居の暗い作品の前で長いこと見入っていることに驚いた。彼らは生前の鴨居を知らない。ただ作品に魅かれ、立ちすくんでいるのであった。

若者は鴨居の絵から何を学んでいるのだろうか。平和ボケと言われる現在の日本で、真剣な気持ちにさせる絵なのだろう。鴨居は真摯に作品の制作に取り組んできた。その情熱が自ずと画面から発しているのだと思う。

私と夫は、鴨居玲が1968年に日動画廊で最初の個展をした時から死ぬまでの17年間、画家と画商という関係を超えて濃密な付き合いをしてきた。画商として多くの画家と接しているが、なぜか鴨居とは、親友とも言える親しさを持ったのである。それゆえ、「亡くなった」の知らせには呆然としたことが記憶に鮮明である。

1969年、鴨居は日動画廊の昭和会展優秀賞と安井賞をダブル受賞し、彗星のごとく美術界に躍り出た。41歳の時である。画家としては遅い出発であった。それまでの鴨居は、ブラジルやヨーロッパを放浪するなど、世に認められない画家としての苦悩の旅を続けていた。

賞を受賞したことで、自分の作品の方向性を見極めることが出来、画家「鴨居玲」がスタートしたのであった。そうして、住みたかったスペインに居を移し、その数年後、フランスに戻り、パリやニューヨークで個展を開催し、“世界の鴨居”となった。

国際的な雰囲気を生まれながらにして持っていた男であった。学生時代から、周囲とはあきらかに一線を画すオーラがあったと知人たちも語る。パリ展ではテレビにも出演し、後に大統領になったミッテランも購入するほどであった。

1977年、帰国し神戸に住み、その8年後に世を去った。