【オードリー・ヘプバーン】25歳で結婚、流産。彼女の名声と富が結婚相手を傷つけ、溝を深くした―
福田和也・世界大富豪列伝「蕩尽の快楽」第125回 オードリー・ヘプバーン(その二)
メルとオードリー夫妻25歳のオードリーは12歳年上のメルと結婚。息子ショーンが誕生するも、その8年後に離婚した

1954年9月25日、オードリーとメル・ファラーはスイスのルツェルン湖畔にあるブルゲンシュトック教会で結婚式を挙げた。
オードリー25歳。ピエール・バルマンの白いオーガンジーのドレスに、頭に白バラの冠をつけ、清純な花嫁姿を披露した。

一方メルは37歳。3度の離婚経験があり、4児の父親でもあった。
メルと出会う前、オードリーはジェームズ・ハンソンというイギリス人実業家と婚約していた。けれど、『ローマの休日』の成功でオードリーが世界的なスターになったことから2人の生活にはすれ違いが生じ、婚約解消となった。
その後『麗しのサブリナ』の撮影中に、共演したウィリアム・ホールデンと恋仲になったが、彼に妻子がいたことが障害となり、撮影の終了とともに別れることになった。

メルと出会ったのは、その直後の1953年7月。グレゴリー・ペックが自分の開いたパーティで2人を引き合わせたのだ。
恐らくそのとき、オードリーは仕事と私生活の両方で自分を支えてくれる男性を必要としていたのだろう。12歳年上で、キャリアのある俳優であり、演出家でもあるメルは恰好の結婚相手だったのだ。

スイスとイタリアの郊外でハネムーンを過ごし、10月には妊娠が明らかになった。
常々、「わたしには子供を産むこと以上に大切なことなんてありません」と公言していたオードリーは仕事よりも家庭を優先させる生活を望んでいた。
しかし翌年3月に子供を流産してから、彼女の運命は、本人の思いとは反する方向へと展開していく。

アカデミー賞女優という栄光以上にオードリーを有名にしたのが、その体形とファッションだった。
オードリーのスリー・サイズは23歳から、32―20―35インチで変わらなかった。当時もてはやされていたマリリン・モンローの体形からはほど遠い、がりがりで骨ばった、少年のような体つきだった。
その体形を洗練されたチャーミングなものにしたのが、ジバンシーの服だった。

1953年に『麗しのサブリナ』の服を担当して以来、ジバンシーは生涯にわたって、オードリーの服をデザインし続けた。
ジバンシーの幾何学的で単純なラインと、黒、オフ・ホワイト、抑えたパステルカラーといった色合いは彼女の体形に完全にマッチしていた。
それまでの女性美の概念を覆したオードリーの「妖精スタイル」はたちまち大流行し、世界中の女性が真似をするようになった。

「わたしはまじりもののない、本物の楽園にいたの」

オードリーは自分の起こしたブームについて、こう語っている。

「・・・・・・びっくりするばかりですよ。街でわたしに出会うと驚きます。『あらあら、わたしはずっと私に似ていなくちゃならないのね・・・・・・』ってひとりごとをいうんです」(『オードリー・ヘップバーン 妖精の秘密』ベルトラン・メイエ=スタブレ)

『麗しのサブリナ』『ティファニーで朝食を』『マイ・フェア・レディ』と、主演した作品はファッションへの注目もあって次々に大成功をおさめ、『ローマの休日』から10年でオードリーは世界の大スターとなった。