高倉健没後半年――遺骨やお墓をめぐる養女と親族たちとの「水面下の」事情
2005年訪中時の高倉健。右は高倉を敬愛したチャン・イーモウ監督 photo Getty Images

映画俳優・高倉健が亡くなって半年が経過した。

今も、テレビの追悼番組、雑誌の特集記事が続いており、「高倉健」という存在が、俳優の枠を超え、「理想の日本人」のひとりとして、国民の胸に刻まれていることがわかる。

高倉健の「お墓」はどこにあり、「遺骨」はどうなったのか

NHKのBSプレミアムで、俳優の柳楽優弥がリポーターとなって、「高倉映画」の足跡を追うドキュメンタリー番組『高倉健が残したもの~人を想う心の旅~』が、5月16日、放映された。

そこで柳楽が、高倉に強く惹かれたのは、撮影現場で役を演じるだけでなく、スタッフや地元の人々との関係を大事にし、その後も律儀に交流を続ける高倉の「人への想い」だった。

共演者やスタッフに贈る時計やバッグ、世話になった人に欠かさない礼状、付き合いのあった少なからぬ人たちの命日に贈っていた「高倉」という名入りの線香――。

「想い」を伝えるエピソードには事欠かないが、一方で、プライバシーを大切にし、孤高を貫いた。

高倉健に、もう一歩近づき、親しくなろうとして、多くの人が「壁」にはばまれた。立ち入らせない領域があったという。

「遺骨」と「お墓」を封印したのは、「記憶に残しても、形あるものは残さない」という高倉が最後に発した強烈なメッセージのようである。

高倉の「お墓」はどこにあり、「遺骨」はどうなったのか。

私は、高倉の死後、昨年末から今年初めにかけて『週刊ポスト』に「高倉健・菅原文太と暴力団」というタイトルで4週にわたって連載、その間、ずっとそのことが気になっていた。

記事の趣旨は、高倉健とその後を追うように亡くなった菅原文太と暴力団との関係を、2人が演じた「任侠映画」と「実録映画」を軸に考察、「暴力団の盛衰と日本の変化」を論じるもので、プライバシーに踏み込む必要はなかったが、「健さんのお墓はどこにあるのか」と、話題にする人が多く、その行方は私も気になっていた。

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