【オードリー・ヘプバーン】かわいらしさ、無邪気さ、勇敢さ―。女優の才能を培った「両親の諍い」
福田和也・世界大富豪列伝「蕩尽の快楽」第124回 オードリー・ヘプバーン(その一)
〔PHOTO〕gettyimages

ローマは何度か訪れたことがあるが、中心街にあるスペイン広場はいつも観光客で溢れかえっている。
映画『ローマの休日』では、表敬訪問中のアン王女が一人こっそり街に出て、ここでジェラートを食べるシーンが有名だ。
女優・オードリー・ヘプバーンは、この映画によって世界にその名を知らしめることになった。

当時、彼女は23歳。バレリーナを目指したが、身長の高さがネックになって断念し、女優に転身して3年しかたっていなかった。
監督のウィリアム・ワイラーは、それまでベテラン女優しか使わなかった。また製作者のほうでも、アン王女役はエリザベス・テーラーを望んでいた。
その決定をくつがえしたのが、カメラ・テストだった。

王女がベッドに身を投げ出すシーンを指示されたオードリーは、「カット」と言われた後もカメラが回っていることに気づき、自然な演技を続けた。
ベッドの上で、王女のごとくなまめかしく伸びをし、両手で膝を抱いてほほえみながら、出来はどうだったと、スタッフに尋ねたのだ。

後にワイラーは語っている。

「・・・・・・彼女はわたしが求めていたものをすべてそなえていた―かわいらしさ、無邪気さ、そして才能。そのうえユーモラスでもあった。彼女は文句なしに魅惑的だった。『まさに適役だ!』というのがわれわれの感想だった」(『オードリー・ヘップバーン物語』バリー・パリス)

しかし、フィルムに映されたオードリーの無邪気さは演技によるものだった。彼女は確信犯的に主役の座を勝ち取ったのだ。これには彼女の生い立ちが深く関わっている。

オードリーは1929年5月4日、ベルギーのブリュッセルに生まれた。
母のエラはオランダに古くから続く貴族の出。父のジョゼフはイングランド人とアイルランド人の血を引く銀行家。2人とも再婚で、オードリーには父親違いの兄が2人いた。

金銭問題で、父と母は諍いが絶えず、そのとばっちりを受けるのは、2人のただ1人の娘であるオードリーだった。

子供の頃からオードリーは聞き分けのいい子だったが、自分がいい子になれば両親の諍いもおさまるだろうと考えてのことだった。
けれど彼女が6歳のときに、父親は家族を置いて、1人でロンドンに行ってしまう。

父親不在の寂しさを補ってくれたのが、バレエだった。
母親が連れていってくれたバレエ公演を見て、オードリーはたちまち夢中になり、自分でも習い始めた。

両親が再び一緒に暮らすようになることを願っていたオードリーだったが、1938年、二人は正式に離婚した。