「自分の意見を伝えられる子どもに育てる」
【第8回】結論は自分で"つくる"もの

〔PHOTO〕Thinkstock

上の写真を見てください。

この写真で表されていることは何ですか? 国語のテストっぽく言うと、「この写真の"主旨"は何ですか?」。

こう聞かれると、多くの人が主旨を探し始めます。この写真を撮った人が言いたいことは何か? この写真が最も表現していることは何か? と、"たったひとつの答え"を探し始めます。

ですが、そんなこと気にしなくていいんです。写真を撮った人は、何か表現したいことがあったのだと思います。でも、それはその人が言いたいことであって、「あなたが感じる"べき"こと」ではありません。あなたがその通りに感じなければいけないということではないのです。

あなたは、あなたが感じたことを言えばいい

ぼくは最近、フジテレビ「とくダネ!」など、テレビ番組にコメンテーターとして出させていただいています。そこでは、ぼくの専門外の政治ネタや事件のニュースが扱われます。専門外だといっても、そこに座っていれば当然、コメントを求められます。「専門じゃないので、わかりません」とは言えませんし、そう言う必要もありません。ぼくらが求められているのは、"正解"を伝えることではないからです。

ぼくらがあの場に座っているのは、クイズ番組のように正解を出すためではなく、「新しい見方」を提示するためです。

出来事(事実)は同じです。しかし、解釈は異なりますし、そこからどんな意味を見いだすかは、人それぞれです。「Aという意見もあるけど、Bという見方もある。部分的に考えたらまったく反対のCという結論にもなりうる」という見方が大事なんです。

ニュースが流れた時に、満場一致で「これはAが正解ですね」「はい、そうですね」では何の意味もありませんから。

ぼくらが知っておかなければいけないのは、「正解があるわけではない」ということです。そして正解を探すような見方をしてはいけないということです。求められているのは、自分が感じたこと、自分が考えたことです。「自分はこう感じた、こう思う」でいいのです。

その昔、ぼくは国語が苦手でした。それは、「著者が言いたいこと」「ここで主人公が感じた気持ち」を言い当てることができなかったからです。

"読解"のテストであれば、相手が言いたいことを「正しく」くみ取ることが必要です。しかし、それに慣れてしまうと、あらゆる状況について「結論」があるものだと感じてしまいます。

ですがそうではありません。決まった結論なんてないです。ぼくらは長年テストで「正解」を出すように求められてきたので、必ず何か正解があるはずだ、しかも「たったひとつの正解があるはずだ」と考えてしまいます。それは幻想です。

さきほどの写真を見返してください。あなたが感じたことは何ですか? たとえそれが大きく描かれていなくても問題ありません。「この写真の隅っこに小さく写っている○○が気になった」などでもいいんです。

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