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徹底検証で明らかにするトヨタの"本気"、成功と失敗史

ここで、トヨタが「本気」になって取り組んだことは成功したのか?「本気」の成功と失敗史を見ていきたい。

成功 生産方法を根本から変えたかんばん方式

1963(昭和38)年に「かんばん方式」と呼ばれる新しい管理方式を全工場で採用した。「かんばん」の指示に従って部品を作れば、常に必要数量だけが各工場間で受け渡されることになり、各工程における在庫は解消する仕組み

トヨタは生産面において1950年代中盤から後半にかけて導入した「かんばん方式」を'63年に全工場で開始した。

かんばん方式とは生産計画を正確に遂行すべく、必要な部品やユニットを「必要な時に必要なだけ」供給するもの。トヨタでは生産指示票と呼ばれる品名などを記載したカードや表示板を噦かんばん器と呼んでいたためこの名前が付いた。

今では多分野で導入されているかんばん方式だが、今でいうサプライチェーンにも正確な動きが求められるという非常に難しいシステムでもある。それを実現したからこそ現在のいっさいムダなく、クルマを迅速に供給するトヨタの基本理念のひとつを確立できたといえる。

成功 モータリゼーションを起こした初代カローラ

オーナードライバーも増え始めていた1960年代初め、トヨタはそういった動きや'55年に通産省が計画した国民車思想に対応し、パブリカ(パブリカとはパブリックカーの略に由来)を'61年に発売した。

しかしパブリカは見た目や装備が非常にシンプルだったことが、当時の大衆には支持されず、その反省を生かし初代カローラは'66年に登場した。

初代カローラはパブリカの教訓を生かし立派に見えることも目指したクルマで、高いレベルの合格点を目標とする「80点主義」というコンセプトで開発された。加えて先発の最大であったライバルのサニーの1ℓ+コラムシフトの3速MTに対し優位な1・1ℓ+フロアシフトの4速MTというパワートレーンの採用、メンテナンスフリー化を進めたこともあり大ヒットを納め、トヨタの大きな柱となるモデルに成長。ボディバリエーションの拡充なども行いながら、現在もかつてほどではないにせよ根強い人気を保っている。

成功 両輪が再び一体化した工販合併

もともとトヨタは生産・開発部門と販売部門を社内に持つ成り立ちだった。しかし戦後経営危機に陥った'50年に銀行から融資を受ける条件や月賦販売制度の確立のため、開発・生産を行うトヨタ自工と販売を担当するトヨタ自販に分離した。

このことはクルマにとって重要な2つの要素をより専門的に行えるという意味ではトヨタの強みでもあったが、自動車業界が激化する通商摩擦や海外での現地生産化といった大きな問題を抱えていた当時、素早い経営判断の実現という目的のため、再び自工と自販がひとつにまとまることが急務となっていた。