雑誌
動き出したらとことん突き進むTOYOTAの本気!
徹底特集大きな船はゆっくりと舵を切る。だけど、その動きは確実なものとなる

3年連続でグローバル販売台数ナンバーワンを獲得したトヨタ。トヨタが本気を出すと、もの凄いことになる!いま、"本気"を見せ始めたトヨタの動きを多角的に検証してみたいと思う

「大きな船は、舵を切ってもすぐには向きを変えません。でも、常に正確な舵取りが要求されます。そして、ひとたび向きを定めて動き出したら、ゆっくりではありますが、確実にその方向に向けて動いていくのです」

もうずいぶんと前のことになるが、あるトヨタ社内の関係者に本誌編集部員が、「なぜトヨタは新技術の投入にそんなにも慎重なのですか!?」と問いかけた際の回答だ。

なるほど、トヨタ自動車という会社の体質というか、性格をよく表わしていると思った。何気ないひと言だったのかもしれないが、この言葉を聞いたあの日から10年以上経った今日でも、ハッキリと覚えているということは、それほど印象的な言葉だったということだ。

トヨタは2014年のグループ全体でのグローバル販売台数が1023万台となり、史上初めて1000万台を突破した。1014万台だったフォルクスワーゲンを僅差ながら破り、3年連続で世界トップを堅持した。

トヨタが本気を出すともの凄いことになる。そんなトヨタのすべてを多角的に見ていきたい。

※※※

トヨタ自動車という会社は、しばしば保守のかたまりのようなイメージで語られることが多い。舵取りに慎重で、簡単には経営方針を変えることはない。

'80年代には「80点主義」という言葉でトヨタ車は語られた。当時の日産やホンダのように突出したクルマ、トレンドをガラリと一変させるようなニューモデルに挑戦することなく、クラウンやカローラに代表されるような、確実にユーザーがいるマーケットに向けたクルマ作りをしているということを揶揄した表現として受け止めた人も多いことだろう。

でも、それはトヨタの本質を見ているとは言えない。保守的で新しいことに挑戦をしない企業が、日本のモータリゼーション急成長の時代に、時代をリードして成長することができただろうか!?クラウンやカローラというクルマは、キープコンセプトの『守り』の商品開発で今の時代まで生きながらえてくることができたであろうか!?

トヨタは常にクラウンで挑戦を続けていると感じている。保守的な日本車の代表のようなイメージで語られることが多いクラウンだが、トヨタ社内では最も先端をいく、革新的なモデルとして位置づけられていると思うのだ。それは歴代クラウンを見ていけば自ずと理解できるだろう。

そもそも'55年に登場した初代クラウンが挑戦的な存在だった。今から60年前、まだまだ日本の自動車作りは海外のノックダウンが当然だった時代。トヨタは純国産設計で、当時普及するか見通しの立たなかった乗用車専用シャシーを開発したのだから、挑戦的だったとしか言いようがない。

「白いクラウン」でオーナードライバーに向けてアピールした3代目クラウンだって挑戦的だった。国産車で初めて姿勢制御装置(VSC)を搭載したのはクラウンマジェスタだし、レクサスLS(初代セルシオ)用に肝いりで開発したと思われた4ɜ、V8エンジンを一番最初に搭載したのは、8代目クラウンのマイチェン時だった。

80点主義という言葉も、本来は「お客様のために、最低限80点以上のクルマを作らなくてはならない」というトヨタイズムが誤解されたという説もある。すべてに渡り80点を取るということは、どれほどハイレベルなことなのか!?ちょっと想像を巡らしてみればわかることだろう。

慎重だが大胆なトヨタの舵取り

トヨタ自動車は日本国内のみならず世界に拠点を持ち、グループ合わせて約34万人という従業員を抱える巨大企業だ。連結売上高は25兆円を超え、営業利益は2兆円を超える。これほどの企業の舵取りなのだから、それは慎重になって当たり前だ。もしトヨタの経営が危機に瀕するようなことになれば、世界の経済に大きな影響を与えることは避けられない。

でも、慎重なだけでは企業は衰退していくだけということは、トヨタの経営陣は熟知している。慎重ではあるけれど、時には大胆な舵取りをして世の中を変えていくリーダーとなっていくのもまたトヨタなのだ。

トヨタ式生産方式として、今では世界中のメーカーが取り入れているジャストインタイム、いわゆる「かんばん方式」は'63年に取り入れられた。在庫を持たない、作りすぎないなどの生産方式で、'50年のドッジ・ラインによるデフレに端を発した経営危機からの教訓により体系化されたもの。'66年にデビューしたカローラでモータリゼーションの波を一気に加速させたのもトヨタの大胆な一面だ。高級2ドアクーペなどまだまだ国産車では時代ではないと言われた'81年、ソアラを放ち成功させたのもトヨタの本気が窺える。

'97年に登場した初代プリウスは現在に続くトヨタハイブリッド戦略の本気の取り組みの第一歩だった。開発主査は現在副会長の内山田竹志氏である

トヨタは常に順風満帆だったわけではない。バブル経済が崩壊した後の'95年前後には経営は下降線となり、病気のため退陣した豊田達郎社長の跡を継いだ奥田硯社長が大胆な拡大路線を敢行。

そのさなか'97年10月に初代プリウスを投入し、ハイブリッド時代を一気呵成に推し進めたのはつい先日のように思い出される。ハイブリッド戦略では「トヨタの本気」の底力をまざまざと見せつけられた思いである。

その後2000年代前半にかけて再び拡大路線を確実なものとしていくトヨタだが、'08年のリーマンショックで'09年3月期決算では'58年ぶりの赤字転落。さらに'09~'10年にかけての大量リコール問題もあり、再び危機に瀕する。

このタイミングで現在社長を務める豊田章男氏が創業家出身の社長として就任。トヨタにとって絶大なる求心力を持つ創業家の若きリーダーとして慎重かつ大胆な舵取りを断行。意思決定の迅速化のために取締役の数を大幅に削減するなど、企業改革を進めることで、現在の状況を作り出した。

その根底にあるのは「ReBORN」という考え方。豊田章男社長は今年年頭の社内に向けた挨拶で「リーマンショック後の赤字転落や、リコール問題といった、つらい経験を通じて、トヨタは生まれ変わらなければならない、ReBORNしなければならないと強く決意した」と語っている。さらに「ものづくりを通じて社会に貢献するという創業の理念に立ち返り、安全はすべてに優先する、その次に品質、台数や利益はその後でいい」とも言っている。

大胆にして慎重、そしてひとたび決断したならとことんやり遂げるというのが、トヨタ自動車という会社の本質なのだ。

「ベストカー」2015年3月10日号より


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