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クルマ界歴史の証人 トヨタの新車開発秘話 初代ソアラの開発主査 PART3-2

白洲正子夫人が2代目ソアラを購入

実は白洲さんからも「2代目が出たら買うよ」と約束をもらっていた。しかし、デビューの3カ月ほど前に白洲さんが亡くなられた。1985年11月28日のこ とである。私は果たされることがなくなった約束を、心から残念に思った。ところが正子夫人が、その約束を代わって果たしてくれた。2代目ソアラ発売直後、 その実車を工場で見た正子さんは、すぐに「買った!」と言い、購入を即決。

その「買った」のひと言は正子さんが気に入った骨董を買う時の口 癖だったという。それも正子さんは運転免許を所有していないのに買ってくれた。「トヨタは将来、日本を背負って立つ企業に発展するかもしれない。その象徴 的なクルマを買いましょう」ということだったようだ。正子さんとは、その後もお手紙のやりとりなどを何度かさせて頂いた。正子さんはとてもお洒落な方で あったし、日本の伝統文化や仏像、骨董などに造詣が深かった。

後にわかったが私は正子さんには噦ソアラの岡田さん器として通っていた。「私 はクルマのことに疎いので、どんなことをしている人かは知らなかったのです。しかし、白州次郎からはしょっちゅう、岡田さんの名前を聞いていた」という。 そんな正子さんの心意気には感動し、感謝している。

白洲正子さんからの手紙
2代目ソアラ購入を即断した正子夫人からの自筆の手紙。優しい字体が人柄をそのまま表しているという。白洲次郎さんが亡くなられた後も交流が続いた

そして当時の豊田章一郎社長と長男で現社長の章男さん、そして正子夫人の3名が2代目ソアラに乗り、兵庫県三田市にある白洲次郎さんの墓参りに行っ た。章一郎社長は「お陰様でノー・サブスティチュートのクルマを作ることが出来ました」とその完成を墓前に報告した。戒名不要、葬式不要の白洲さんにはこ れしか報告する方法がなかったようだ。2代目ソアラを見て白洲さんは「また、こんな電気仕掛けばかりのクルマを作ってしまったのか!」と嘆いているのかも しれない。

実はこの2代目の開発をしている途中で、私は現在も愛用しているポルシェ911(930)を購入した。白洲さんの影響というので はなく、私自身、昔からポルシェの形が好きだった。フロントも悪くないが、もっとも好きな箇所は、斜め後方から見たリアクオーターパネル。初代ソアラがデ ビューした時は「2800GT」、2代目の時は「2・0GTツインターボ」をマイカーにしていたが、ポルシェもそのままで乗り続け、現在にいたっている。

ト ヨタの場合、マイカーはトヨタ車以外でも比較的自由に乗ることができたため、結構、いろんなクルマに乗っている人たちがいた。こんな話もある。2代目ソア ラの試験車ができた時に、章一郎社長が試乗したいというので、その機会を作った。私が助手席に乗りテストしている時に「なんでも君はポルシェに乗っている らしいな」と聞かれた。なにか言われるのかな、と思っていたら、なんと章一郎社長は「実はね、僕は一度ジャガーに乗りたいと思っているんだよ」と明かして くれた。

当時トヨタは英国で現地生産の立ち上げ準備中だった。もし、そのトヨタの社長がジャガーの愛好家で、プライベートではXJ6に乗っ ている……ということになったら、英国ではすごく話題になり、トヨタはより好感をもって迎えられた筈だと思い、実現しなかったのが残念だった記憶がある。 自動車会社の社長が「クルマ好き」なのは大変大事なことであり、むしろ当然の事かもしれない。その点では、トヨタの現・豊田章男社長の「クルマ好き」は半 端じゃない。モータースポーツも加味したら、間違いなく世界一のクルマ好き社長。もし「世界自動車会社社長の自動車レース」というのが開催されたら、サー キットであれ、ラリーであれ、ぶっちぎりで章男社長が勝利することになる。話が少し脱線したが、僕はこのことは、トヨタの将来や進んで行く道に大変大きな 影響を及ぼすと確信している。すでにその兆候は出ているが、これからが楽しみだ。

2代目ソアラはいろいろな人たちの努力とサポートにより無事に市場へと送り出され、初代をも凌ぐヒット作となった。バブル景気にも乗り、発売から約5年間で30万台以上を売り上げ、ハイソカーブームの象徴的存在であった。

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