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クルマ界歴史の証人 トヨタの新車開発秘話 初代ソアラの開発主査 PART1-2

トヨタ2000GTをオープンのボンドカーに

そして帰国。先に戻っていた野崎さんは河野二郎主査のもと、トヨタ2000GTの開発に携わっていた。2000GTの最初の頃のデザインスケッチを 見るとアートセンター流のデザイン手法が見られていたし、そこから生まれたラインは美しいデザインだった。このスポーツカーはトヨタの本流から外れたヤマ ハとの共同プロジェクトであったため、採算性では最後までうまくいかなかったが、トヨタの技術イメージを画期的に変える点で、その功績は大変大きい。

主査だった河野さんに面倒をみていただいていたこともあり、私は帰国後すぐに2000GTにかかわることになる。当時、日比谷の東京支社のなかにデ ザイン分室というのがあって、3~4名のデザイナーが常駐していた。地方にいるだけでなく、最先端の都会的デザインをするために東京のネオンの下で勉強を しなさい!ということなのだろうが、私はリーダーに任命された。そこに河野主査がある日、ひょっこりやってきた。

そして「たまたま今、映画『007は二度死ぬ』のプロデューサーが日本に来ているから、そこに2000GTをボンドカーにする売り込みにいくから、 キミも一緒に付いてきなさい」と言うのだ。先方はボンドカーとして使うクルマは、すでにGMの新型スペシャリティカー、シボレーカマロと言うに決まってい る。だが、日本を舞台にした映画でアメリカ車というのでは日本人として、どうしても納得できなかった。だから説得したのだが、最初はまったく話に乗ってく れなかった。そこで2000GTの写真を見せると「なかなかカッコいいスポーツカーだ。日本のクルマではないようだ」と興味を示してくれた。

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