平和講義Ⅰ:星野了俊先生「そもそも日本の安全保障の概念は、どういう経緯で生まれたのですか?」

星野了俊先生と乙武塾の学生たちと
様々な社会問題が山積する日本社会。より良い暮らしを守るために、私たちは今何を考え、何をするべきなのか。未来を担う世代とともに、それらの疑問の答えを探してみたい。そう思った私は、2014年より、二十歳前後の学生たちと一緒に学びを深める「乙武塾」を開講しました。日本が抱える諸問題をテーマに掲げ、専門家の本を読み、講義を聞き、学生たちと議論し、日本の未来を考える。彼ら「二十歳の疑問」は新鮮で、私も刺激を受けています。本連載では、「乙武塾」オンライン版として、そこでの学びをみなさんに共有させていただきたいと思います。(構成・友清哲)

日本の安全保障の基本を学ぶ

乙武: 第1回目の授業のテーマは「平和」。メディアなどを通じて安全保障に関する議論がヒートアップしていますが、私たちの日常生活において、「平和」というテーマを深堀りする機会はなかなかありません。戦争を永久に放棄する立場をとりながら、国際貢献を求められる日本は、この時代に世界でどう立ち回るべきなのでしょうか。その答えを探るためには、まず日本の安全保障の基本を学ぶ必要があるはず。そこでまず、戦略・安全保障アナリストの星野了俊氏を講師にお迎えし、安全保障の歴史についてお聞きしました。

みなさんは"平和"と聞いて、なにをイメージしますか? 

講義の冒頭、星野先生の問いかけに対して、十数名の学生が次々に答えを口にしました。「原爆ドーム」「非暴力」「朝起きて普通に朝飯が食べられること」---。いずれの解釈であっても、今あたりまえのように享受している平和が、決して盤石のものではないということを、彼らはちゃんと認識しています。隣国との軋轢。国際的テロ。私たちは机上で語られる抑止力をどこまで信頼していいのでしょうか。戦後70年、改憲論で大きく揺れる今だからこそ、改めて考えていきます。

そもそも日本の「安全保障」の概念は、いつ生まれたもの?

〈学生からのQuestion.1〉

学生: 改憲、護憲の議論のなかで、安全保障という言葉が漠然と独り歩きしているようにも見えます。そもそも安全保障という考え方はどのようにして生まれ、どのようなプロセスを経て現在のかたちに落ち着いたのでしょうか?

日本の"独立"と同時に締結された、日米安全保障条約

〈星野先生からのAnswer〉

星野: 日本の安全保障を知るためには、現在につながる戦後の安全保障の歴史を学ぶことが不可欠でしょう。ところが、このテーマはなぜか学校教育ではあまり重視されることがなく、みなさんにとって十分な知識を得る機会が少なかったのも事実です。

まずは太平洋戦争の経緯から、簡単におさらいしてみます。日本は1941年12月8日の海軍による真珠湾攻撃および陸軍のマレーシア半島、シンゴラ上陸を皮切りに、米・英・蘭を相手取り、大規模な戦争に突入しました。しかし、早くも翌42年のミッドウェー海戦以降は劣勢を強いられ、44年に「絶対国防圏」とされたサイパンが陥落すると、いよいよジリ貧状態に陥ります。そして45年には10万人以上の犠牲を生んだ東京大空襲が、さらに18万人の犠牲を生んだ沖縄戦によって、致命的な戦禍を被ることとなります。

決定的だったのが、みなさんもよくご存じの通り、8月6日に広島、8月9日に長崎と、相次いで投下された原爆です。これによって戦意を失った日本は、ポツダム宣言を受諾し、敗戦が確定します。当時の昭和天皇による玉音放送によって国民は敗戦を知ることとなります。それが今日『終戦記念日』として知られる8月15日のことでした。

星野了俊先生

敗戦国となった日本は、アメリカ主導のGHQ(連合国軍総司令部)に占領され、その統治下に置かれることとなります。つまり、日本は敗戦をもって、主権を失ってしまいました。本来、「国家」の定義とは、領域・国民・主権の三要素を備えていることです。このうちのひとつを失った日本は、国際法上、国としては一時的に消滅したことになります。

戦後、日本はGHQによって財閥解体や教育改革などさまざまな民主化政策が施され、1946年にはマッカーサー草案をもとに日本国憲法が公布されます。これが翌年の5月3日に施行され、今日の『憲法記念日』につながるわけです。

そして1951年9月8日、サンフランシスコ平和条約締結によってGHQの統治を離れた日本は翌年7年ぶりに主権を回復、独立の日を迎えることとなります。このサンフランシスコ平和条約締結と同日、当時の吉田茂首相が同市プレシディオに単身で赴き、日米安全保障条約が結ばれます。これが日米同盟の始まりであり、「経済重視・軽軍備」、そして「親米」という、今日に至るまで歴代政府に継承されてきた日本の外交・安全保障政策の基本スタンスを決定することとなりました。