「有事並み」10万人態勢の救援活動
地震災害と原発事故の「二正面作戦」に挑む[自衛隊]
がれきの山を慎重に取り除き、行方不明者を捜す自衛隊員=宮城県女川町の出島で4月7日

 防衛省・自衛隊は、東日本大震災の被災地を救援するため、陸海空の自衛隊の半数近い10万人以上を動員し、「有事並み」の態勢で臨んだ。これまで最大の災害派遣だった阪神大震災(1995年)の延べ派遣人員約220万人を大きく上回る「自衛隊史上最大の作戦」(同省幹部)。地震災害のみならず、想定外の東京電力福島第1原発事故への対応という「二正面作戦」に挑んでいる。

 壊れた家のがれきを1枚ずつ、丁寧に取り除く。身をかがめて、隙間をのぞき込む。4月7日、宮城県女川町の離島、出島(いずしま)。陸上自衛隊の第14旅団(香川県善通寺市)の第14偵察隊員15人は、行方不明者を求め、ひたすら作業を続けていた。かつての集落を想像できないほど、見渡す限りのがれきの山が、津波被害の大きさと捜索活動の難しさを物語る。

 14旅団が担当する石巻市東部と女川町だけで行方不明者は、4月下旬でもいまだ約1000人。小隊長の横山隆利2等陸尉(38)は「遺体を少しでも傷つけないよう作業している。遺族の方に納得して頂けるまでは頑張る必要がある。あと1カ月は捜索が続くと思う」と長期化を覚悟していた。現場で隊員たちは、捜索活動のみならず物資輸送や入浴、給水、給食などの「生活支援」にも追われていた。

 3月11日の地震発生当日。自衛隊の初動は素早かった。発生15分後には省内に災害対策本部を設置。すぐに各県庁へ連絡要員を派遣し、各基地から航空機が一斉に飛び、被害状況を確認した。出動可能なすべての艦船もすぐに東北方面の海域へ。米軍の連絡将校も数時間後には同省に駆け付けた。

 原子力緊急事態宣言を受け、北沢俊美防衛相は午後7時半、自衛隊の創設以来初めてとなる原子力災害派遣命令を発令。核・生物・化学(NBC)兵器に対処する「中央特殊武器防護隊」(中特防)が現地に派遣された。

 菅直人首相が、北沢防衛相に対し自衛隊の「10万人態勢」を指示したのは3月13日。発生1週間後の18日には達成した。阪神大震災でも最大1日約2万6000人で、後方支援要員を含むとはいえ、極めて異例の対応だ。首都直下型地震への「対処計画」で陸上自衛隊11万人を被災地に集中させる想定にほぼ匹敵している。

 一方、住民の避難誘導に当初とどまるはずだった原発対応では、自衛隊は前面に出ることになった。自衛隊幹部は「命の保障がない危険な任務だった」と振り返る。そもそも専門部隊の中特防ですら有害物質を検知し、部隊を安全なところに誘導したり、汚染された隊員や住民の除染が主任務。原発事故そのものへの関与は想定していないからだ。

 14日には同原発3号機が爆発し、給水作業をしていた自衛隊員4人が軽傷を負った。保安院や東電からは「安全は保障されている」と説明されていただけに、現場の隊員からは不満が噴出した。北沢防衛相や折木良一統合幕僚長にさえ十分な情報が届かず、「自衛隊としての対処計画が立てられない」といら立ちを強めた。

 それでも、16日には菅首相の意向を受ける形で、陸上自衛隊のヘリコプターCH47が冷却機能を失っていた第1原発3号機への上空からの海水投下に向かった。しかし、放射線の数値が高過ぎて断念。北沢防衛相は「首相は『最後のとりでは自衛隊』という気持ちを強く持っている」と理解を求め、17日午前に決行した。当日になって隊員個人の累積被ばく量を100ミリシーベルトまで緩和する「ぎりぎりの選択」(自衛隊幹部)だった。

米軍「トモダチ作戦」展開

 苦闘する自衛隊への側面支援で存在感を示したのが「トモダチ作戦」を展開した米軍だ。

 発生直後から空母「ロナルド・レーガン」などの主力艦船を次々と現場海域に向かわせ、空軍の偵察無人機「グローバルホーク」も情報収集にあたった。1日最大約2万人を動員し、行方不明者の捜索や支援物資の輸送を続けた。

 3月24日には在日米軍司令部のある横田基地(東京都福生市など)に統合支援部隊(JSF)司令部を立ち上げ、来日したウォルシュ米海軍太平洋艦隊司令官が陣頭指揮を執った。自衛隊側も陸上自衛隊の番匠幸一郎防衛部長(陸将補)ら約10人が横田基地に常駐し、連絡調整役を担った。防衛省や横田基地、陸上自衛隊東北方面総監部(仙台市)の3カ所に「日米共同調整所」が設置された。

 原子力災害に関しても、米海兵隊の専門部隊「CBIRF」(シーバーフ)の約150人が4月5日に来日。世界的関心を集める原子力災害に「日米一体化」とも言える異例の協力態勢を敷いた。

 防衛省は、普段は民間企業に勤める自衛官OBの即応予備自衛官、予備自衛官も、制度発足から初めて招集。かき集められるだけの人員を投入した。それでも、「想像を絶する津波被害」(北沢防衛相)、南北約500キロに及ぶ被災地域、終わりの見えない活動の長期化が運用面で重くのしかかる。

 自治体の被害が大きく、自衛隊が肩代わりせざるを得なくなったことも負担感が増す一因だ。現地では、本来市町村が行うべき遺体の移送や埋葬まで、自衛隊が行うケースが頻発した。また、今回初めて全国の駐屯地などで支援物資を受け取り、被災地への支援物資の輸送を主導した。

 隊員たちは「週1回程度の入浴、食事はレトルトパック」というのもざらだ。7万人を動員する陸上自衛隊の火箱芳文幕僚長も「隊員の疲労は相当なものがあると認識している。ローテーションの確実な実施による休養、心のケアに万全を期したい」と述べ、活動に厳しさが増していると認識している。

 しかし、献身的な活動に、国民の受け止めはおおむね好意的だ。毎日新聞が4月16、17日に実施した全国世論調査では、自衛隊の活動について「評価する」との回答が95%に達した。

 津波で自宅を流され、女川町で一家7人が自衛隊が設置したテントに身を寄せる船員の山本幹雄さん(54)は「ドンパチではなく、自衛隊がこうした時のために存在していることを肌で感じた」とに語る。「主たる任務」の防衛出動ではない、災害派遣での実績が自衛隊の存在価値を高めている。

この続きは、プレミアム会員になるとご覧いただけます。
現代ビジネスプレミアム会員になれば、
過去の記事がすべて読み放題!
無料1ヶ月お試しキャンペーン実施中
すでに会員の方はこちら