雑誌
さよならソニー、愛してたのに。
すっかり変わってしまったけど、どうかお元気で (下)

まだ負けたわけじゃない

斎藤氏は自分の会社を起こす一方で、外資系企業で働くことを選んだ。年収もソニー時代の水準に戻った。海外を飛び回る傍ら、いまは妻と息子たちとの時間を大事にしている。

私はソニーのリストラ部屋の人々や、リストラに巻き込まれた社員の素顔をソニー凋落の軌跡に重ねあわせて、2年7ヵ月前から取材し、月刊誌『FACTA』で18回にわたって連載した。その連載を加筆・再構成したのが、『切り捨てSONYリストラ部屋は何を奪ったか』(講談社)である。

広く知られていることだが、ソニーは創業者の井深大氏が「自由闊達なる理想工場」を目指し、もう一人の創業者である盛田昭夫氏が「ソニーはリストラをしな い」と国内外で宣言した企業である。その「理想工場」の夢と、リストラを19年('99年の経営機構改革から数えると17年)も続け、約8万人も削減したソニーの現実とは、あまりに開きがありすぎる。

しかも、厳しいリストラを実施するさなか、ストリンガー会長が年間8億円以上の報酬を受け取ったり、無配転落を発表した平井一夫社長の年収が3億円以上に増えたりして、社員の顰蹙を買っていた。その落差と、「理想工場」の今日を象徴する「リストラ部屋」周辺の人々の実態を、社員たちの目線から検証したいと考えたのだ。

追い出される人々は本当に「余剰」の人員なのか。それとも、やみくもな採用の末に無能な経営陣によって切り捨てられたのか、現場で確かめたいと思った。

調べてみて、私は「リストラ部屋」に収容された社員の数と、その人材の質の高さに圧倒された。

私が入手した内部資料によると、ソニーでは、2003年度からの8年間だけでも延べ2940人の社員がリストラ部屋にいた。管理職も含まれている。この8年間以外の収容人員を含めると、少なくとも延べ3000~4000人がその部屋に在籍したと推測できる。

リストラ部屋の人たちが無能でないことは、滝口、斎藤両氏の実例が示す通りだが、興味深いのは会社の非情をただ嘆くだけではなく、リストラ部屋でしぶとく食い下がったり、リストラ部屋を逆手に取ったりした社員がいたことだ。

「会社はモノ作りで挫けたが、俺たちは負けたわけじゃない」と彼らは言う。

商品設計部門外装設計部の課長だった長島紳一氏(57歳)は2012年9月、自らリストラ部屋行きを志願している。

「いまのソニーではもう好きな仕事はできない。このまま会社にしがみついていても、降格や減給、転出、解雇、叱責、白眼視と、おびただしい不安に包囲され続けるだけだ。独立しようと思い切れば、リストラ部屋も自分のキャリアとプライドを生き返らせる場になるはずだ」