読書人の雑誌『本』
マザー牧場に行こうとして茨城県竜ケ崎市に着いちゃう人が多い理由とは?
検索したら「地図」も見よ!

この世を記号化したもの─地図

(文・今尾恵介)

先日、茨城県の龍ケ崎市へ行く用事があって常磐線の佐貫駅を降りると、改札の手前に「当駅は、マザー牧場の最寄駅ではありません」という貼り紙があった。マザー牧場といえば房総半島の有名な観光名所であるが、遠く離れたこの佐貫駅になぜそんなことを掲げてあるのだろうか。なるほど本来の最寄り駅である内房線の「佐貫町」と駅名は似ているけれど。

最近になってこの種の誤乗が多くなっているそうだ。「牧場へ行くつもりだったのに・・・・・・」と途方に暮れる人(カップルが目立つ)に、駅員さんはここからマザー牧場まで三時間ほどかかることを説明し、代わりに近くの名所である「牛久大仏」を紹介するのだという。

このようなケースが増えている第一の原因はスマホの普及であろう。電車の接続案内が簡単にできるからだ。マザー牧場のケースだと、最寄り駅をどこかで調べて「さぬき……」と入力するやいなや、佐貫と佐貫町が勝手に出てくるので、一定割合の人がつい佐貫を選んでしまい、想定外の大仏見学をすることになる。

ひと昔前まで、マザー牧場へ行くなら地図を見て調べるのがふつうだった。そうすれば房総半島の全体像はだいたい頭に入り、目指す牧場が半島の西側中央にあることがわかる。そこへ行くためには時刻表の索引地図を開き、内房線の佐貫町駅から出ているバス路線を調べる、という手順だ。この従来型の行動をとっていれば、間違っても常磐線に乗ることはあり得ない。

今は初めての宴会場だって「食べログ」の地図が詳しく案内してくれるし、クルマに乗ればカーナビが「右方向です」などと指示してくれるから、道を覚える必要もない。万事がそんな風に便利になっているので、地理空間的な認識を醸成するプロセスを「中抜き」してしまう。このような状況では人々の地理感覚も大幅に変わっていくのは必然だ。

でもこれで本当に大丈夫なのだろうか。

東日本大震災の津波で起きた福島第一原子力発電所のメルトダウンは、日本のみならず世界中に大きな衝撃を与えたが、その発電所に県名の「福島」が付いていたために風評被害はより大きく広がった。たとえば福島県会津若松市は原発から約一〇〇キロ離れているにもかかわらず、多くの修学旅行がキャンセルになったという。同じ一〇〇キロ内外の都市は宮城県仙台市、山形県米沢市、茨城県日立市、栃木県那須塩原市など数多いのに、明らかにそれらの都市と扱いは違った。「福島」が「放射能汚染」とイコールの記号で認識されてしまった結果である。

そうなってしまうと、農作物の客観的な放射線量の数値がいくら「安全」でも、つい忌避する行動につながってしまうのである。東西に長い福島県の形を地図で見れば、もう少し冷静に考えられそうなものだが、メディアによって記号化された「福島」イメージは単独で暴走してしまう。もちろん距離が離れるほど安全といった単純なものではないけれど。

原発に限らず、安易な記号化は正確な実態の把握を妨げる。他にも「これが災害の起こりやすい地名だ」などと具体名を挙げて不安を煽る言説が目立つのも困ったもので、たとえばサンズイの付いた地名は浸水しやすい、などと単純化してしまう。しかしそれを真に受けずに、そのサンズイ地名が載った地形図を冷静に眺めれば、それほど単純なことでないのは誰でもわかるのだが。