財産や安定よりも夢を追いかけた放送界の大功労者・愛川欽也さんの足跡
「キンケロ・シアター」HPより

キンキンこと愛川欽也さんが逝去した。没年80歳。気さくな人柄なので、良い意味で最後まで大物感を漂わせなかったが、放送界にとっては偉大な人だった。テレビ、ラジオで活躍すること50年以上。これほど長く放送の最前線にいた人も珍しい。

俳優としての下積み時代

愛川さんの生まれは、とげ抜き地蔵で知られる東京・巣鴨。幼い頃に埼玉へ転居し、中学を卒業すると、県立浦和高校へ。浦高は今でも名門だが、愛川さんが入学したのは東大進学率が抜群に高かったころ。本人も当初は東大法学部に進学し、弁護士になるつもりだったという。

ところが、浦高生時代に演劇にのめり込む。今とは違い、昭和期は世間が高校生に対して寛容な時代で、授業をさぼって劇場や映画館に通うことも大目に見られていた。授業より観劇のほうが面白くなった愛川さんは浦高を中退。1954年、俳優座養成所に入る。

しかし、俳優としては下積みが続いた。60年代に入るとテレビに進出するが、顔が出ることはなかった。役割が声優だったためだ。外国人俳優の吹き替えやアニメの声を担当。まだ声優の待遇が悪く、ギャラが極端に安かったため、厳しい暮らしを強いられたという。おそらくこの時代に経験した高校中退や貧しさが、庶民派の下地になったのだろう。

とはいえ、声優としては超一流だった。美声ではないが、味わい深い声で、耳に心地良く、間の取り方も絶妙だった。ジャック・レモンの吹き替えを任せられると、たちまち洋画ファンの間で評判となる。62年からTBSで放送された米制連続ドラマ『ルート66』の主人公、マーチン・ミルナーの声も好評だった。50代以上にはアニメ『悟空の大冒険』(67年、フジテレビ)の沙悟浄役や『マッハGoGoGo』(同)の覆面レーサー役が懐かしいだろう。

売れっ子声優のまま70年代に入り、『いなかっぺ大将』(70年、フジ)のニャンコ先生役などを担当する一方、着ぐるみの中にも入っていた。日本テレビが平日の朝7時台に放送していた子供向け情報番組『おはよう!こどもショー』でのこと。ゆるキャラの元祖的存在である「ロバくん」の中で愛川さんは汗だくになっていた。

ロバくんは当時の子供たちに広く愛されていた。その人気は今のふなっしーに勝るとも劣らないくらいだった。子供たちのアイドルなので基本的には優等生なのだが、たまに逸脱するところも面白かった。それは愛川さんのアドリブだったらしい。表舞台に立てなかった愛川さんの忸怩たる思いの表れでもあったのではないだろうか。

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