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素人でも分かるひどい投球フォーム「もう投げられない」怪物・松坂大輔の終焉を考える

2015年04月20日(月) 週刊現代
週刊現代

「一番はメジャーのマウンドに対応できなかったことです。向こうのマウンドは硬いため、日本時代のようなグッと踏み込む投球ができなかった。結果、歩幅を狭めてフォームを崩し、肘の故障もしてしまった」

メジャーに馴染めなかったから—。確かに直接的には、それが原因だろう。だがはたして、それが松坂が輝きを失った根本的な理由なのか。

イチローや松井は、メジャー投手特有の「動くボール」に対応してみせた。投手を見ても、野茂やダルビッシュは、マウンドの違いに苦心しながら、それにあったフォームへと改善していった。

彼らと同等、いや彼ら以上の才能があったはずの松坂は、なぜそれができなかったのか。メジャーのマウンドが硬いことは、移籍する前から分かっていたはずだ。

松坂がフォームを崩したのは、メジャーに適応できなかったからではなく、しようとしなかったからだと、あるメジャースカウトが証言する。

「一番わかりやすい比較対象は、黒田博樹です。彼は'08年にドジャースへ移籍した際、『日本での調整方法は一度忘れ、まずはメジャー流を試してみます』と語りました。長距離移動や試合数の多いメジャーで活躍するため、投げ込みなどを減らしていったのです。そんな姿を見て、ドジャースのチームメイトたちもすぐに黒田を仲間として認めていきました。

一方の松坂は、自分のやり方にこだわる選手でした。専属の通訳、専属のトレーナー、馴染みの日本人記者たち、そんな取り巻きを大勢引き連れて、他の投手とは別メニューの調整を続けた」

当時のレッドソックス監督・フランコーナは、再三にわたり「日本のやり方ではもたない。少しずつでも変えてくれ」と松坂に申し入れたという。

スカウトが続ける。

「メジャーではまだルーキーのくせに勝手なことをする松坂は、徐々に孤立していきました。'09年についに故障をしたときも、心配して相談にのってくれるチームメイトはいなかったはずです」

黒田にとってメジャーは「挑戦」だった。だからこそ、一人のオールドルーキーとして、がむしゃらに適応しようとした。だが松坂は、日本時代の栄光を最後まで捨てきれなかったのだ。

ありあまる才能のゆえに

振り返れば、松坂には、がむしゃらさや真摯さに欠けると思われても仕方がないエピソードがつきまとう。

西武時代には、当時交際中だった妻・柴田倫世に会いに行って駐車違反を犯し、それがきっかけで無免許運転が発覚。しかも松坂は警察に行かず、チームの広報課長が身代わり出頭した。

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