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なぜあいつが役員に? なぜあの男が社長なんだ?
『パナソニック人事抗争史』元役員たちは、こう読んだ(上)

中村邦夫・6代目社長ら前任者が傾けた経営を、現社長(8代目)・津賀一宏は必死に立て直そうとしている〔PHOTO〕gettyimages

「そういうことだったのか……」彼らは幾度となくつぶやき、時に膝を打った。発売されたばかりのこの本を読んだ、パナソニック元役員たちの反応だ。巨艦企業の停滞は、すべて人事に起因していた。

経営不振の原因はあの人事

日本を代表するエクセレント・カンパニーとして隆盛を極め、長く世界のトップブランドとして君臨してきたパナソニック(旧松下電器産業)が、過去約20年にわたって経営不振に苦しまねばならなかった原因は、ひとえに「人事の乱れ」によるものだった。

背景には、3代目社長の山下俊彦によってはじめられた経営改革を、4代目社長の谷井昭雄が推し進めようとするなか、会長の松下正治との間で激しく対立したことがあった。

松下電器の創業者松下幸之助の女婿でもあった正治は、谷井の改革によって創業家がないがしろにされていると反発。やがてふたりの対立は、経営そのものを揺るがす根深い人事抗争へと発展していったのである。

その人事抗争史の知られざる舞台裏を克明に描き出し、話題を呼んでいる書籍がある。『ドキュメント パナソニック人事抗争史』(岩瀬達哉著、講談社刊)。同書には松下電器元副社長を含め、同社で役員に上りつめた人々が実名で登場し、貴重な証言を寄せている。

ドラマの世界と見紛うばかりの抗争劇が展開されるが、最近の大塚家具の例もあるように、こうした事態はどの企業も他人事ではない。

そして、企業でひとたび人事抗争が起きると、とめどない感情の悪循環を生みだし、組織の活力を削ぎ、未来を切り開くはずの経営戦略をも、失敗へと導く。

「パナソニック人事抗争史」(岩瀬達哉著 講談社刊)

松下電器の人事抗争に巻き込まれた経験を有する元役員たちは、同書をどのように読み、何を語るのか。あらためて取材した。

パナソニックの人事抗争の、いわば引き金となったのは、子会社のひとつ、アメリカ松下電器(現パナソニック ノースアメリカ)の会長人事であった。

この人事は、1989年4月27日に逝去した幸之助の死と、タイミングを合わせるかのように発令されている。

当時、松下電器4代目社長だった谷井昭雄が、自身の上司でもあった会長の松下正治に対し、兼務していたアメリカ松下の会長を辞任するよう求めたのである。

元アメリカ松下電器の役員が、振り返って言う。

「あの人事は、谷井さんが正治さんに会長を降りてくれと強引に申し入れたものでした。正治さんにしてみれば、事前の相談もなく、突然、引きずり降ろされたようなもんやから面白いはずがない」

以来、正治と谷井との間では、壮絶なバトルが繰り広げられることになる。

そして、谷井が正治との暗闘劇に敗れ、社長を辞任すると、後任の5代目社長に就いた森下洋一は、イギリス松下電器に左遷されていた中村邦夫(のちの6代目社長)を本社に呼び戻すと、これ見よがしに取締役米州本部長兼アメリカ松下会長とした。

パナソニックの元役員と元理事で構成する「客員会」の重鎮は、この人事の意味を解説する。

「中村君は、アメリカ松下時代に部下が起こした横領事件の管理責任を問われ、本社からみれば孫会社にあたるイギリス松下に左遷された。その左遷から、わずか1年で本社に戻し、しかもアメリカ松下の会長に就けたというのは、これからは谷井体制を一掃するという一種の意思表示でした」

さらに、この重鎮は、「わけのわからんところで、上げたり下げたりしていたのでは、人心が淀んで当然」と続けた。

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