テレビコメンテーターの種類
『週刊現代』古賀茂明 官々愕々より
報道ステーションのwebサイトより

3月27日のテレビ朝日『報道ステーション』での私の発言をめぐり、「古舘伊知郎vs.古賀茂明のバトル」という面ばかりがクローズアップされて面白おかしく報道されている。

それは、官邸から見れば願ってもない展開だ。何故なら、より本質的な、「権力による報道の自由の抑圧」という論点が全く陰に霞んでしまうからだ。

なかなか本質論が展開されない一つの原因が、「官邸からの圧力があった」ことについて異論を唱えるコメンテーターがいることだ。現実に取材をしているまともなジャーナリストなら、いかにして権力側が、直接的な圧力も含めて異例なまでのマスコミ工作を繰り広げているかは周知の事実だ。すでに報道もされている。

自分で取材をしないか、偏った取材をしている自称「ジャーナリスト」だけが、こうした愚かなコメントを繰り返すのだが、彼らの罪は重い。なぜなら、視聴者はこれに騙されて、「圧力はあったか」という入り口の議論に関心を持ってしまい、本質論にたどり着けないからだ。

このように、市民を惑わせるコメンテーターが多いのだが、彼らはいくつかに分類することができる。

第一のグループは、そもそも政権寄りなので、政権側から圧力を受けるはずがない人たち。

第二は、テレビ局に媚びて出演機会を確保する人たち。その多くは自分の信念などなく、自ら局側の意向を汲んでコメントする。このグループが一番多い。テレビ出演で名前と顔を売ることが最優先。他番組や講演の依頼が増え、ギャラが上がり本が売れる。彼らも圧力とは無縁だ。

第三のグループは、政権の監視や批判がマスコミの重要な役割だとわかっているが、人間が弱く信念を貫けない人たちだ。テレビの外では、結構政府批判もするが、在京キー局の本番では、本質を避ける。それでも、番組外でのイメージがあるので、視聴者は、もやもやした発言でもまじめなコメントとして受け入れてしまう。

彼らは必ず、「出られなくなれば政権批判もできない、多少の妥協は必要だ」という言い訳をする。しかし、その考えでは、政権の圧力によってテレビ局が自粛を強めるに従って、自分の発言の自主規制ラインも自動的に狭まってしまう。

そのような行動を続けていると、最初は常に問題意識を持っていた人でも、いつしか自動的に政権の言うことに合わせる人に変わってしまい、さらには、自分が変わってしまったことにさえ気づかなくなる。

これはコメンテーターだけでなく、現場の記者やディレクターもそうだ。

私が自分の考えを妥協しないで発言するのは、それを続けなければ、私自身が変わってしまうと思うからだ。

「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」

私が報道ステーションで、最後にマハトマ・ガンジーのこの言葉を紹介したのは、そのことをマスコミの人たちに考えて欲しいと思ったからだ。

『週刊現代』2015年4月25日号より

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