「自分の意見を伝えられる子どもに育てる」
【第3回】「発信力=表現力」ではない

〔PHOTO〕Thinkstock

【第2回】はこちらをご覧ください。

仕事で小説的な描写力を使うことがありましたか?

自分の意見を表現しようと思った時に、「表現豊かに言わなければいけない」「気のきいた言い回しをしなければ」と感じる方が多いように思います。

国語の教科書には、物語や随筆がたくさん載っています。ぼくらは小さいころからそれを見ています。一方で、ビジネスの現場で交わされている文章や言い回しには触れずに大人になります。

そのため、国語の教科書に載っているような日本語を「大人が使う言葉」として捉えているのかもしれません。

でも、ビジネスで使う日本語は、まったく違うものです。「豊かな表現」も「気のきいた言い回し」もほとんど求められません。それは目指すべきゴールではなかったのです。

以前、小学生向けの作文指導の本を読んで、愕然としました。そこに模範として書かれていた文章が、とんでもなく的外れだったからです。

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タイトル:運動会
「ドクンドクン、ドクンドクン」
ぼくの心臓が今にも飛び出てきそうだった。ぼくはまだスタートラインにすら立っていない。それでもこの鼓動を抑えることはできなかった。
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なるほど、たしかに表現力豊かな文章かもしれませんね。ですが、考えてみてください。みなさんが社会に出て、一度でもこのような文章を書いたことがありますか? 会社で、買い物に行ったお店で、その他どこでも構いません、大人になってから小説以外で、このような文章を見たことがありますか?

おそらく、ほとんどの方が「ない」と答えるでしょう。こういう文章を書くのは、小説家や脚本家、シナリオ作家ぐらいです。それ以外の一般人は、おそらく一生書くことがない文章でしょう。だとしたら、こんな文章を目指してもまったく意味がないのです。

「子どもには、自分の言いたいことを言えるようになってほしい」

多くの親がそう感じているでしょう。ただ、「言いたいことがいえるように」ということを誤解している大人が多いように思います。

言いたいことが言えるようになる=表現力が豊かになる、と考えている大人がじつに多いです。そして同時に、表現力が豊かになる=きれいな日本語、小説のような言い回しができるようになること、と考えています。ですが、それは勘違いです。というか、目標を捉え違えています。

さきほどのような小説っぽい文章が書けても意味がありません。小説家、脚本家を目指すのならともかく、そうでなければ社会に出てからあのような言い回しをすることがありません。むしろ、あのような文章を書いたら、即「書き直し!」を命じられるでしょう。

子どもたちが身につけなければいけないのは、「表現力」が豊かな文章を書く能力ではありません。自分の感情、考えていることを相手にしっかり伝える能力です。それができていれば、たとえ言葉が少なくても、文章が短くても、同じ単語を繰り返していても、構いません。重要なのは「小説のようなきれない表現」ではなく、「自分の感情を表現すること」です。

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