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1971年 マクドナルド 銀座・三越に初上陸を語ろう(上)
店員は厳選女子大生、ホコ天で食べた80円のハンバーガーはアメリカの味がした 

週刊現代 プロフィール

山迫 ところがその週末、奇跡が起きました。偶然来日していたアメリカのボーイスカウトたちが慣れ親しんだMマークを見つけて、店に押し寄せてきたんです。彼らは歩行者天国を歩きながら、あるいは路上に座り込んで、コーラを片手にハンバーガーにかじりついた。

泉 なるほど。その姿を見た日本の若者たちが、「ああやって食べるのか。かっこいいな」と飛びついたわけですね。

山迫 その通りです。あっという間に行列になりました。その日のお客さんの数は、なんと1万人。名前も知らないあのボーイスカウトたちが、実はマクドナルド成功の立て役者なんです。いまでも感謝していますよ。

田沢 ただ、昔から銀座を散策している大人から見ると、顰蹙ものだったのではないですか。

山迫 行儀が悪いという見方が強かったのは事実です。実際、周囲の店主からも「立ち食いなんて見苦しい。なぜそんな下品なことを天下の銀座で許すのか」という苦情がありました。三越店内で食べ歩く若者もいたので、三越の従業員からも白い目で見られた。そこで毎日午後3時に、ご挨拶がてら三越の食料品部の部長さんと銀座四丁目交番に、アップルパイとコーラを差し入れするようにした(笑)。

泉 たしかマクドナルドが歩行者天国にゴミ箱を置いたんですよね。

山迫 はい。周囲と軋轢を生まないためにゴミ箱を設置し、「クリーンパトロール」として専用の清掃員を20名採用していました。

田沢 販売スタッフの青色の制服はよく覚えています。マクドナルドの女性スタッフは魅力的でしたから。

山迫 スタッフは店長裁量で、私が厳選したんですよ(笑)。慶應、上智、青山学院、東洋英和……。アメリカ人の留学生も含め、みんな女子大生です。募集したところ、200名ほどの応募があり、70~80名を採用した。当時、都内のアルバイトの平均時給は180円でしたが、うちは220円。時給も破格だったので、求人で困ることはなかったです。

田沢 山迫さんが第1号店の店長になられた経緯はどのようなものだったんですか?

山迫 新聞に掲載された求人広告を見て応募しました。応募者は1000人ほどで、一流企業に勤める現役バリバリの男性ばかりでした。一方、私はアメリカ放浪の旅から帰ったばかり。それがどういうわけか店長候補の10人に選ばれました。本場のマクドナルドを知っていたことが大きかったのかもしれません。

田沢 当時、本場の味を知っている人材は貴重だったでしょう。

シェイクにもびっくり

山迫 オー プンの1ヵ月前に入社するや、日本マクドナルドの株主だった第一屋製パンの工場内に設けられたモデルショップで、本社のマニュアルに基づいて調理法や接客 を仕込まれました。その後、藤田さんから「1号店の店長をやってくれ」と言われたときは、うれしさと同時に責任の重さに押し潰されそうにな……

>>>続きは「1971年 マクドナルド 銀座・三越に初上陸を語ろう(下)
店員は厳選女子大生、ホコ天で食べた80円のハンバーガーはアメリカの味がした」をご覧下さい。

「週刊現代」2015年4月11日号より


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