スポーツ

二宮清純レポート 山田哲人(ヤクルトスワローズ内野手)「3割30本30盗塁」を狙う (上) 
飛躍の一年から本格化の一年へ 

2015年04月04日(土) 週刊現代
週刊現代

突如現れたプロ野球界の新星。これまでファームで力を蓄えていた若武者は、昨シーズン、何を見出したのか。開幕を目前に控えたいま、何を思うのか。驕らず繕わず、素直に本音を語った。

レジェンドは知らないけど

ミスター・タイガース。そう崇められた伝説の強打者がいる。元タイガースの藤村富美男だ。

1949年、後に〝物干し竿〟と呼ばれる38インチ(96・5センチ)もの長いバットを引っさげた藤村は、驚天動地の46本塁打を記録してホームラン王に輝く。

それまでのシーズン本塁打記録は前年に青田昇と川上哲治がマークした25本。その倍近い本塁打を放ったのだから、世間は度肝を抜かれた。

藤村は単なるパワーヒッターではなかった。翌'50年、今度は3割6分2厘という高打率で首位打者のタイトルを獲る。この年にマークした191安打は、昨季、東京ヤクルトの山田哲人が塗り替える(193安打)まで、日本人右打者の最高記録として64年間も破られなかった。

インタビューは〝レジェンド超え〟の感想からスタートした。

「藤村さん? 全然知らなかった。(どんな人か)調べたこともありません」

無理もない。藤村が没したのは山田が生まれる2ヵ月前である。山田にすれば祖父にあたる年齢だ。

蛇足だが、藤村には一度だけ話を聞いたことがある。亡くなる前年だ。

「日本一の豪速球王は誰だ」という『月刊現代』の特集だった。藤村が指名したのは沢村栄治。コメントに味があった。

「ワシらは戦争に巻き込まれた世代やけど、よく皆で〝銃弾と沢村のボールはどっちが速いか?〟なんて話をした。ホンマ、そのくらい速かったよ」

孫の世代の選手の活躍によって、唐突に名前がクローズアップされた藤村。泉下で苦笑いしているに違いない。

山田の一軍初出場は、プロ1年目の'11年11月3日、中日とのクライマックスシリーズ(CS)・ファイナルステージ第2戦だった。

結論から言えば、このゲーム、ヤクルトは3対1で勝利したものの、中日の先発左腕チェン・ウェインに苦しめられた。代打・飯原誉士の値千金の一発で0対0の均衡を破ったが、チェンに対しては、この1点しか奪えなかった。

山田はサウスポー対策として、急遽スタメンに起用された。1番ショート。19歳を大抜擢したのは当時の監督・小川淳司である。

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