【世界の中の日本 その4】 戦後70年 ~未来に向けた北東アジアとの関係構築を!

江戸時代、鎖国によって外国との交渉を閉ざし、太平の世を謳歌していた江戸幕府に対して、最初にその扉を開きに来たのはどの国かご存じだろうか?

それは北からやってきたのだ。

1770年代から松前藩に通商を求めていたロシアは、1792年にはラクスマンを根室に派遣し、正式にロシア使節として幕府に通商を求めた。これらの北からの動きに危機感を持った幕府は、近藤重蔵らに千島を、間宮林蔵に樺太を探索させ、東蝦夷地を直轄地とするなどの対策を進めたのだ。その後の幕末の歴史は、ご承知の通り1853年にペリーやプチャーチンが来航し、翌年の日米和親条約を皮切りに開国へと向かう。その近代日本の扉を最初にノックしたのは実はロシアだったのだ。

中国とは、1世紀に倭奴国の王が後漢の光武帝から金印を授かったのが、史書(後漢書)に登場する最初の日中間の交流である。3世紀には魏志倭人伝に登場する邪馬台国の卑弥呼がいる。

朝鮮半島とは、日本の律令国家創世期に、おどろくほど積極的に関与していた。当時の朝鮮は、高句麗、百済、新羅の三国時代。日本は百済に肩入れし、百済を復興するため白村江に大軍を投入して、唐・新羅の連合軍に大敗した。

一方、台湾とは、1593年、戦国時代に豊臣秀吉が当時の「高砂国」に使者を派遣し、1874年、近代日本最初の海外派兵となった台湾出兵が行われている。その後、1895年から1945年まで日本が統治していた。

このように、歴史的にみて日本が世界とつながる際、地政学的に北東アジア諸地域が玄関口になってきたのである。「世界の中の日本」を考える際、北東アジア地域との関係性を抜きにしては考えられないのである。

これらの隣国とは、歴史が長く、緊密だからこそ、そこに極めて難しい外交問題が横たわっている。しかし一方で、長く付き合ってきたからこそ、文化的にも類似性が高く、難しいと思われる問題の解決にも希望が持てるのだ。今年は戦後70年の節目だ。100の行動92では、この節目にあたって、未来に向けた北東アジア近隣諸国とのあり方について論じることにする。