プーチンのイデオロギーについて考察した貴重な作品---下斗米伸夫・著『プーチンはアジアをめざす』

佐藤優直伝「インテリジェンスの教室」Vol.056(2)読書ノートより

●下斗米伸夫『プーチンはアジアをめざす 激変する国際政治

ロシアの宗教哲学者ニコライ・ベルジャーエフは、人間は本質において、宗教的動物であることを強調した。「ロシアにおいて共産主義者にとっても宗教が必要である」という「建神主義」という考え方が1917年のロシア革命直後に流行した。この考えとプーチンの世界観が親和的であると下斗米伸夫氏は考える。

<無神論者であるレーニンが死んだとき、「神」であるかのように「赤の広場」に廟をつくったのも、共産党が古儀式派などの宗教を利用しようとした「建神論」によっている。

古儀式派や建神論という言葉は、読者にはあまり耳慣れないものかもしれない。しかし、これらを抜きにして、現在のロシア、とくにその保守主義やプーチンを語ることはできない。

ソ連建国の父であるレーニンは、その死後に遺体が保存処理され、レーニン廟に祀られた。北京に毛沢東廟、ベトナムにホーチミン廟、そして北朝鮮に錦繍山宮殿ができた起源は、じつは正教にあったと言えそうだ。東欧の共産党指導者で廟があったとは聞かない。指導者への「個人崇拝」は、ロシア正教以来の民衆信仰が「共産主義」に取り込まれたためではないか。

やがてソ連が崩壊すると、各地にあったレーニン像は破壊されたが、レーニン廟だけは取り壊されずにきた。もっともリベラル派のあいだでは、レーニン廟を撤去するべきだという声はソ連崩壊後もずっと存在し、ここ数年は保守派のあいだでも賛成する意見が出始めていた。ところが二〇一二年の冬、プーチンは「レーニン廟は撤去しない」という方針を明確に打ち出したのである。

ユニークなのはその理由だ。プーチン曰く、聖人の遺体保存は、ギリシャ正教に由来するロシアの伝統である。そして共産主義も一種の宗教だから、聖人であるレーニン廟の保存は当然だという。プーチンは保守主義者の立場から、ロシアの伝統につながるレーニン廟を守ると主張したのである。

たしかに、聖人の遺体保存は正教に由来する。ギリシャ正教の流れをくむロシア正教でも、聖人の遺体保存は古くからつづけられてきた。「赤の広場」の横にあるクレムリンの寺院では、イワン雷帝が聖人として祀られている。

本来無神論であるはずの共産主義国家ソ連において、レーニン廟がつくられた背景には、こうした宗教的なものがあったことは事実だろう。おおまかに言って、ロシア革命以前から革命党内では「無神論こそが正しい」という原理主義グループと、「いや、プロレタリアートのための新しい神をつくるべきだ」というグループとが対立していた。この後者の主張こそが「建神論」と呼ばれるものだ。

「建神論」を主導したのは、作家で革命ロシアの文部大臣のアナトリー・ルナチャルスキーや、作家のマクシム・ゴーリキーら左派の論客で、彼らは古儀式派とも密接な関係にあった。この「建神論」を背景にしてレーニン廟がつくられたのだから、「レーニン廟は聖人の遺体保存というロシアの伝統である」というプーチンの主張は、あながち間違ってはいない。>(135~137頁)

プーチンのイデオロギーについて考察した貴重な作品だ。

このテーマについて深く知るための「連読」3冊
・内村剛介『科学の果ての宗教』講談社学術文庫、1976年
・スターリン『レーニン主義の基礎』大月書店、1952年10月
・佐藤優『自壊する帝国』新潮文庫、2008年10月