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独占スクープ! 彼女がすべてを書いた 麻原彰晃の三女アーチャリーは何を見たのか

あの地下鉄サリン事件から20年。オウム真理教の教祖である父が逮捕され、母やきょうだいとも引き離された。当時12歳だった彼女は、何を見て、どうやって生きてきたのか。手記を独占公開する。

31歳の大人になった

〈父の逮捕後、「事件さえなければ……」と思い続けました。しかし現実には、事件の裁判と報道、住民の反対運動、入学拒否など、わたしを取り巻く出来事が、ことあるごとに事件の存在を突きつけてきました。(中略)これからわたしが書くことは批判を受けるかもしれません。それでも、わたしは自分の経験のなかで実際に感じたことと、自分が知ることのできた事実にもとづいて書くことしかできません〉

現在、心理カウンセラーを目指して勉強中。父・麻原と母・松本知子の面影が重なる 撮影・野口博

オウム真理教の教祖・麻原彰晃の三女、松本麗華。'95年の地下鉄サリン事件当時、「アーチャリー」の名で世に知られ、ひっつめ髪でクルタ(教団服)を着ていた少女はいま、左の写真のように31歳の大人の女性になった。麻原から「後継者」として寵愛され、11歳にして教団の幹部となった彼女が、オウムとともに過ごし、事件から現在に至るまでの日々を初めて明かした。3月20日に発売となる『止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記』(講談社刊)から、彼女の肉声をお届けする(以下、〈〉内は同著からの引用)。

三女が生まれたとき、すでに麻原は宗教活動を始めていた。しかし、家族に見せる麻原の顔は、我々が知る「尊師」のイメージとは程遠かったようだ。彼女は千葉県船橋市の小さな家にいた幼い頃をこう追想している。

〈たまに父が家に帰ってくると、わたしたち姉妹は大喜びです。/「お父さん!」/わたしは父を待ちきれず、玄関まで走って行き、飛びつきました。/「おお、元気だったか。ちょっと大きくなったな」とにこにこして、父はわたしを抱き上げます〉

平和な生活の一方、麻原は徐々にオウム真理教の勢力を拡大していく。山梨県の上九一色村や静岡県富士宮市に、教団の拠点となる「サティアン」が次々と建設され、'88年、一家もそこへ移住した。

〈父の瞑想室は特筆すべき造りで、ただでさえ高い天井に、頭をぶつけても痛くないようスポンジのようなものが貼られていました。そういう造りにした理由を、父は「空中浮揚で高く飛びすぎて、頭をぶつけたら困るだろう」と説明していました〉

彼女は、一度も小学校に通っていない。オウムの出家信者たちが先生代わりだったが、学校と同じように学べるはずはない。本来なら小学3年生になる9歳で、ひらがなも読み書きできなかった。

〈絵本すら読めなかったわたしは、惨めで、ストレスがたまりました〉