無法状態のネット世界において、少年法61条に抵触する「晒し」に制限をかけるルールの再構築は無理なのか
文/藤井誠二(ノンフィクションライター)

「少年法第61条」に風穴を開けた出版社系週刊誌

少年法第61条には、〔家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のとき犯した罪により公訴を提起された者については、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であること推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない〕と書かれている。

日本新聞協会では1958年に61条をどう取り扱うかを、〔(同法は)未成熟な少年を保護し、その将来の更生を可能にするためのものであるから、新聞は少年たちの"親"の立場に立って、法の精神を実せんすべきである。罰則がつけられていないのは、新聞の自主的規制に待とうとの趣旨によるものなので、新聞はいっそう社会的責任を痛感しなければならない。すなわち、20歳未満の非行少年の氏名、写真などは、紙面に掲載すべきではない。ただし逃走中で、放火、殺人など凶悪な累犯が明白に予想される場合指名手配中の犯人捜査に協力する場合など、少年保護よりも社会的利益の擁護が強く優先する特殊な場合については、氏名、写真の掲載を認める除外例とするよう当局に要望し、かつこれを新聞界の慣行として確立したい。〕と決め、テレビやラジオもこれに準じてきた。この約束事は同年(1958年)に起きた小松川高校女子高校生殺害事件の加害少年の実名報道を自戒的に総括して、いわば自分たちへ戒めとしてきた面がある。

しかし、「要望したうえで」と断り書きがあるとおり、「社会公益性」があると判断すれば「例外」をもうけることも明記している。実際、最終的にはメディアの自主判断で踏み切り、1958年以降も事件の加害者が少年であっても写真掲載や実名報道をする「例外」が数件あった。また、母親を殺害して自転車で逃走中の少年を実名・顔写真入りで報じるかが議論になったこともあった。死刑判決が確定した「元少年」の実名を報じるかどうかも、各社で対応が分かれているし、再犯事件の場合、「少年期」に起こした犯罪に触れるかどうかも各社で判断が異なっている。

罰則はもうけられていないのは「表現の自由」に配慮されているからだが、破ったとしても、当局(法務省法務局)から注意や勧告がくる程度で、それ以上の公権力からのアクションはない。だが、それでも、新聞が実名報道に踏み切ったのは数十年で数例にすぎず、テレビやラジオも含めマスメディアは61条はほぼ完全に遵守してきたといっていいだろう。

そこに「風穴」を開けたのは、記者クラブに加盟していない出版社系週刊誌だった。『週刊新潮』や『週刊文春』は1990年前後から確信犯的に61条を破り、たびたび実名や顔写真入りで少年を報道してきた。報道された加害者の一部は版元や書き手に対して「61条で保護された法益を侵された」として損害賠償請求訴訟を提起したが、高裁・最高裁レベルで「社会公益性」のほうを重視される結果となり、必ずしも実名報道されたことによって被った「被侵害権利」が明確に認められなかった。週刊誌が61条を意識的に破り、それを司法が判例で、すべてではないが半ば「容認」するという皮肉なかたちが続いてきたのである。

大阪高裁が下した「正当な社会関心事」であればゆるされる旨のロジックには、いったいそれを誰が正当に決めることができるのだろうと私は違和感を感じるが、そうした判例も61条は半ば形骸化しているのではないかと言われる所以になっている。

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