現代新書

名物国際スカウトが特別寄稿 ホーナー、ペタジーニ
ヤクルトの助っ人に〝アタリ〟が多いのはなぜか

中島 国章

いまとなってはすべてがいい思い出ですが、正直申し上げるとやはり国際スカウト時代が一番苦しく、つらい日々の連続でした。プロ野球選手としての経験がない私に国際スカウトが務まるのか――。松園尚巳オーナーの鶴の一声でその役目を言いわたされた直後から、気が動転したのを今でもハッキリと覚えています。なにせ異例ともいえる人事と、これまでに経験したことがなかったほどの重圧。手始めに何をすればいいか、右往左往してしまうような状態でした。

そうした中、ボブ・ホーナーという現役の大リーガーを獲得したのが、国際スカウトとしての私の最初の仕事でしたが、これが思わぬ大収穫。ヤクルト本社の株が飛ぶように売れ、オーナーから褒められたところまでは良かったのですが、しかしその後、ホーナー並みの成果をなかなかあげられなかったのです。

外国人選手「獲得成功」の秘密

(なかじま・くにあき)1952年生まれ。72年セント・メリーズ・インターナショナル・スクール高等部卒業後、南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス)臨時通訳などを経て、73年ヤクルトアトムズ(現東京ヤクルトスワローズ)入社。ペピトーン、マニエル、マルカーノらの通訳などを担当したのち、編成部次長、国際部部長として国際スカウト業務(外国人選手の調査・獲得・契約交渉)に従事し、ヤクルトの5度の日本一に貢献。ホーナー、ペタジーニ、ラミレス、ブロス、ハッカミー、ホッジス、ガトームソンといった各選手の獲得に携わったのち、2005年、国際部参与として読売巨人軍入社。李承燁、ラミレス、クルーンらの移籍・契約交渉などに関わり、2012年退職。訳書に『地球のウラ側にもうひとつの違う野球があった』(日之出出版、安西達夫名義)、著書に『プロ野球通訳奮闘記』(日本放送出版協会)がある。

来日初打席初ホームランを放ったものの実は腰痛持ちであることが発覚したダグ・デシンセイ、本塁打王にこそ輝いたが、もともと膝に着脱可能なギプスをはめているのを見抜けなかったラリー・パリッシュ、開幕直後に膝を故障し、わずか10試合で途中帰国してしまったテリー・ハーパー、来日後まもなくして腰を痛め、オープン戦には出られず、病院通いを強いられたジョニー・レイ……。周囲の人々から「所詮、通訳上がりに何ができる」と思われているようで、出社拒否したくなる日々を過ごしました。

そんなどん底状態の私に神様が救いの手を差し伸べるような、いい話が、旧知のメジャーリーグ関係者からもたらされました。クリーブランド・インディアンスとの業務提携です。私はそれを機にヤクルトに革命的なスカウティングシステムを構築し、外国人選手獲得の精度を上げるとともに、その供給をスムーズに行えるようにしたのです。

インディアンスの首脳陣が誇る、巨額の開発費用を投じたシステムによってもたらされる正確な選手情報の入手を可能にしたのが、この業務提携の肝です。以後、ヤクルトが希望するポジション別選手リストの作成をまずはインディアンスに依頼。リストをもとに粗選びを済ませたあと、海外に渡航して自分の目で実際に調査・交渉すれば、故障やトラブルを抱える選手の獲得を避けることができます。しかも、メジャーでの成績や大物選手の名前に惑わされることなく、効率よくヤクルトに必要な選手を獲得できたので、日本で成功する可能性を飛躍的に高めることに成功したのです。成果のほどは、私が獲得にこぎつけたロベルト・ペタジーニ、アレックス・ラミレスといった選手たちの活躍を見ても明らかでしょう。

その一方で、どんなに有望な外国人選手を迎え入れることができたとしても、素晴らしい結果を残してくれるとは限りません。私たち日本人が観光またはビジネスで海外を訪れた際、長期滞在しているうちに言葉の壁にぶつかったり、思い通りに過ごせなくなったりすれば、やがて毎日がつまらなく感じられホームシックにかかりますが、外国人選手たちもそれは同じです。