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68歳、職業「ロッテ打撃投手」裏方の生き様を語る 来る日も来る日も、ただ白球を投げ続けてきた プロ野球特別読み物 

2015年03月22日(日) 週刊現代
週刊現代

68歳といえば、余生を楽しむ世代だ。その中に、孫ほど歳の離れたプロ野球選手に毎日、真剣勝負を挑む男がいる。池田重喜。日本球界最年長の打撃投手の情熱の源は、現役時代の悲運にあった。

投げ続ける理由

先月末、プロに入って46回目の春季キャンプを無事終えました。'68年にドラフト4位で大洋(現DeNA)に入団し、'71年に移籍したロッテと契約して43年目です。2年間、球団を離れましたが、'00年以降、さいたま市のマリーンズ寮で寮長をしながら、二軍の打撃投手を続けています。同じ年にプロ入りした選手は、巨人で活躍した高田繁やロッテのエース・村田兆治。私の同世代が年金をもらって生活する中、球団から給料をいただき、好きな野球に携われている。幸せのひと言に尽きます。

もう歳だから当然、衰えはあります。老眼だし、右肩も、冬の寒い時期はスムーズに動かない。今年入団した高卒選手は私が50歳の時に生まれた。孫の年代でも、彼らがプロとして一人前になる手助けができるよう、少しでもいいボールをほうりたい気持ちは強いです。

時速100kmほどのボールを連日120球は投げるので、起床直後と就寝前の30分間は腹筋、背筋などの筋トレが欠かせない。若い頃ほど走れない分、キャンプ中は球場に到着後、選手のウォーミングアップの時間に約40分歩きました。自分が投げない時は本来、外野で球拾いをしたい。でもこの歳になると、反応しきれずに打球が体に当たってしまうおそれがあり、極力控えています。

老いと戦いながらも、いい仕事をするための準備を継続して、少しでもチームに貢献したいと思っています。

私の裏方人生は、挫折が転機でした。プロ5年目の'72年。大洋からロッテに移籍して2年目に、投球ではなく、打撃練習中に手首を痛め、ごまかしながら投げていたら右肩を痛めた。力が入らず、スプーンさえ持てなくなりました。

大洋でおもに中継ぎとして103試合に登板し、ロッテ1年目の'71年に3勝して、さあこれから、という時に、地獄がはじまりました。

毎朝、「今日は治っている」という期待とともに目が覚めても、痛みが引かない現実に愕然とする生活が3年続いた。全盛期の投球写真を見ては「この投げ方でもう一度投げたい」と何度もつぶやいた。でも、とうとうその日はこなかった。もう一度だけ、打者にビュンビュン投げたい、という思いは今もあります。

'76年に選手兼任コーチになったことが、裏方人生のスタートです。当時は球団にいる人員が選手とあわせても48人と、現在の約半数。二軍戦前の練習で投げられる人がいなくて、肩が痛くても約350球をひとりで投げました。でも、自分は肩を痛めて戦列を離れていた時期に、負傷前の4年間の実績でチームに置いてもらった。その恩に報いるためと思うと、苦にはなりませんでした。

打撃投手として、野村克也さん、張本勲さん、若い頃の落合博満にも投げ、今春の石垣島キャンプで井口資仁とも初めて対戦しました。プロで通算2000本以上の安打を打った彼らに共通するのは、打撃練習で打ち損じがないこと。10本中、1本あるかないか。どんなボールにも対応できる「間」を持っている。高校を出たばかりの子は、体の反動で打とうとして、タイミングを少し外されるだけで対応できなくなる。投手の作る「間」に引きずられるんです。レギュラーで何年も出続けて、揺るぎない自分の「間」を持つ域に達するのです。

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