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クオール・中村勝社長「逆境に折れず、逆境が訪れるたびに強くなる生き方を選択する。これが成功の秘訣です」

全国に534店舗を持つ調剤薬局『クオール』。高齢化社会において、長寿のみならず、高い「クオリティ オブ ライフ」(=生活の質、頭文字はQOL)を提供することを目的としているため「QOL」を元に「クオール」の社名を持つ。'92年に50歳で創業し、20年かけ、'12年に東証一部上場を果たした中村勝社長(72歳)に聞いた。

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なかむら・まさる/'42年、中国・奉天市(現在の瀋陽市)生まれ、京都府育ち。'65年に京都外国語大学中国語科を卒業。医薬品卸の中川安(現在は合併して屋号消失)へ入社。営業部門を歩み、'92年、営業本部長の時に退社。クオールを創業し、以来現職。積極的なM&A(合併・買収)により業容を拡大。'12年末に東証一部上場を果たした ※クオールのwebサイトはこちら

遺訓

中国の奉天(旧満州)で生まれ、3歳の時に終戦を迎えました。雑貨商を営んでいた父はソ連との国境へ出征し、そのまま行方不明。母は5歳の姉と私と1歳の妹を抱え、中国にとり残されました。その後、なんとか引き揚げ船に乗って帰国できたのは、理由があります。父は戦前から中国人の社員さんたちを大切に扱っていたため、我々が路頭に迷った時、社員の家族にかくまってもらえたのです。奉天の駅から汽車に乗る時はリュックサックいっぱいの食料品をいただけた。

学んだことは、立場が上になるほど、人の扱い方は気をつけなければいけない、ということです。

時流勘

母の実家は京都の呉服屋でした。しかし私が中学校3年生の時、母は過労で亡くなってしまったため、その後、お店は優秀な番頭さんに任せました。私は大学卒業後に家を出て、京都の医薬品の卸の会社へ就職しました。東京支店開設を任されたので、鞄ひとつ持って汽車で上京した。地元で過ごす最後の晩、みんなにすき焼きでお祝いしていただいたことを覚えています。

何でも自分で決断するしかなかった。その当時は和服を着ている方が多かったのですが、私は「いつか洋服が一般的になる世の中が来る」と思い、他の業界を選んだのです。

元気! 難病の子どもたちの夢をかなえるボランティア団体「メイク・ア・ウィッシュ オブ ジャパン」が主催するマラソン大会に出場したときの中村氏

オート三輪

就職したあと印象に残っているのは、様々な社用車に乗ったことです。1年目は自転車でした。当時、第二京浜国道の真ん中には立派な緑地帯があって、ここを走るのが気持ちよかった。2年目はバイクの『カブ』。足で漕がなくても動くことに感動しましたよ。その後、ホンダのバイク『ドリーム号』をはさんで、ダイハツのオート三輪『ミゼット』に乗りました。今度は雨が降っても濡れない! 次はトヨタのライトバン。ミゼットは三輪だから、路面に凸凹があると前につんのめることがあったのですが、四輪は安定していて走りやすかったですね。思えば、人生、何ごとも一足飛びではいけない。自分の実力相応のもので喜びを感じ、次を切り拓いていくことに価値がある。

左遷

前社を退社した理由は、起業のためではありませんでした。経営者が86歳になったのに後継者を決めてくれず、取引先も不安に思っていたので解決するよう提言をしたら「誰の会社だと思っているんだ!」と、その場で子会社への出向を言い渡されたのです。私もその場で「辞めます」と言いました。次へのあてはなく、私はその後、一緒に辞めた部下の再就職先の斡旋などをしていました。

逆境論

起業のきっかけは、退社から約半年後、仕事でご一緒したことがある病院の院長さんからの連絡でした。「今後は医薬分業の世界になる(病院と薬局が別々になる)」と、病院の近くで薬局を経営するよう提案してくれ、私も応じたのです。そして4店舗目まで順調にいったとき、「東証一部上場までいけるかもしれない」と思ったのです。

自分が悪くて招いたわけでもない逆境ってあるじゃないですか。それに折れず、逆境が訪れるごとに強くなる生き方を選択する。これが成功の秘訣だと思います。