【世界の中の日本 その2】 日本人としてのアイデンティティを持ち世界と接しよう!

五千円札に描かれていた新渡戸稲造は、日本人として初めて国際連盟事務次長となっただけの人物ではない。日本人の大和魂を世界に発信し続けた傑人だ。新渡戸稲造が『武士道(Bushido)』をフィラデルフィアで刊行したのはちょうど1900年だった。日清戦争と日露戦争の間、日英同盟締結の2年前、日本という新興国が世界の桧舞台に現れ、海外にその名を馳せた時期だった。

世界中が突如現れた得体の知れない日本と日本人に対して「一体何者だ?」と「?」を持っていた時代に、新渡戸稲造は「日本とは何か」というプロパガンダをうち、この『武士道』が一気に世界的ベストセラーとなった。感銘を受けたアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領は子供たちに『武士道』を読むように薦めたという。

新渡戸の『武士道』は、言わずもがな、武士道に象徴される日本人の生き方と考え方を紹介している。武士道は儒教と仏教の長所を継承し、義、勇、仁、礼、誠と名誉を深く重んじ、「ノブレス・オブリージュ」、すなわち身分に伴う義務をも包含しているのは、西洋の騎士道とも共通するところだと説く。さらに、個人主義ではなく忠義を重んじ、主君、国家、社会を個より上位に置く思想はむしろ西洋のキリスト教思想よりも優れているとする。

東日本大震災の時、被災者の皆さんが整然と並んで配給を待ち、暴動なども一切起こらなかったことに世界中から惜しみない賞賛が集まった。他国から日本を見たとき、日本社会に脈々と息づいている「武士道」的精神が今改めて世界から評価されているのだと言えるのではないだろうか。

世界の中の日本編2では、日本と日本人が世界への貢献を拡大していこうとする中で、改めて日本人としてのアイデンティティや正しい世界観・歴史観を持つための「行動」について論じてみたい。

1. 今改めて日本の「武士道」精神を学ぼう!

新渡戸稲造は1862年、盛岡藩士の三男として生まれた。キリスト教徒となって海外留学を経験し、札幌農学校、台湾総督府、一高校長、国際連盟事務次長などを歴任した教育家であり、新生日本のスポークスパーソンとして活躍した人物だ。

新渡戸が『武士道』を英語で刊行することになった動機については序文にある。

「1889年頃、ベルギーの法学者・ラヴレー氏の家で歓待を受けている時に宗教の話題になった。ラヴレー氏に"あなたがたの学校には宗教教育というものがないのですか?"と尋ねられ、"ない"と答えると"宗教なしで、いったいどのようにして子孫に道徳教育を授けるのですか?"と繰り返された。私はその質問に愕然とし、即答できなかった」

新渡戸はその問いへの答えを考え抜き、約10年後に「武士道という道徳教育」に行き着いたのだ。新渡戸の『武士道』は、必ずしも実際の武士道の歴史や実態を正確に伝えてはいないが、まさに日本人の精神、大和魂を描いたものだと言えよう。

「武士道は知識を重んじるものではない。重んずるものは行動である」

『武士道』で新渡戸は、武士道は知識ではなく、実践を求めるものであるとしている。そして、「昔は士(サムライ)というと、一種の階級であった。今はそうではない。社会的の階級でなく、頭の階級である。相当な教育を受けたものは、みな士となるものである。学士などは即ち士だ。士格のものである。士はいわゆる指導者である。英語でいうリーダーである」とも言う(新渡戸稲造『内観外望』)。

100年以上前に新渡戸が答えを出した「武士道」という精神は、今の世界で日本と日本人が役割を果たすうえで改めて学び直す必要がある、日本人のアイデンティティを凝縮した道徳観念だろう。「日本人の表皮を剥げばサムライが現れる」(武士道)。日本には武士道という思想的支柱があるのだ。現代の世界で活躍しようとする我々日本と日本人は、今改めて、新渡戸の提唱した「武士道」という思想を学ぶべきではないか。

ちなみに、グロービス経営大学院では、必修科目である企業家リーダーシップのコースで、『武士道』と、内村鑑三氏の著書である『代表的日本人』を読むことが義務付けられている。

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