週刊現代
いつか子供たちの記憶に
魚住昭の誌上デモ「わき道をゆく」連載第115回

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日本の春は太平洋からくる。そう言ったのは物理学者の寺田寅彦(1878~1935年)である。

彼はある日、2階の縁側で雲を眺めていた。雲は風が山にぶつかって吹き上がるところにできる。磁石とコンパスで雲の方角と高度を測り、地図と照応したら、西は奥秩父の甲武信岳から富士箱根や伊豆連山の上にかかった雲を一つひとつ指摘することができた。
〈高層の風が空中に描き出した関東の地形図を裏から見上げるのは不思議な見物〉だったそうだ。

それから南に目を転じると、予想もしない物にぶつかった。はるか太平洋上の積雲の堤である。積雲はもくもく盛り上がって丸い頭を並べていた。〈それはもうどうしても冬の雲ではなくて、春から夏の空を飾るべきもの〉だった。

〈庭の日かげは未だ霜柱に閉じられて、隣の栗の樹の梢には灰色の寒い風が揺れて居るのに南の沖の彼方からはもう桃色の春の雲がこっそり頭を出してのぞいて居るのであった〉

と彼は書いている。

私も春の雲を見てみたい。屋根裏部屋に駈け上がって窓を開け放った。右手に富士山が見えた。左手のはるか遠くに丸い雲の頭がのぞいていた。あれがそうなのか。
今年はいつもより春が待ち遠しい。きっと年をとって寒さに弱くなったからだ。それとも社会のあちこちで嫌な出来事がつづき、心が冷えているからだろうか。

そんな時季をやり過ごすには寺田寅彦のエッセーを読むのがいちばんのようだ。彼の文章は論理が透き通っていて濁りがない。抑制が効いていて、深い郷愁を湛えているので魅入られてしまう。

初めて読んだのは、私が熊本市の中学に汽車で通っていた時だ。時間潰しに夏目漱石や森鴎外の小説に挑んだが、難しくて馴染めない。それがどういうわけか、寺田寅彦の随筆だけは心に沁みた。
つい夢中になって汽車を乗り過ごしたこともある。煤煙の舞い込む薄暗い車内で胸が震えて泣き出したくなったのを覚えている。初めての体験だった。

それから50年。ふとしたことで寅彦の文章に触れ、汽車通学の時の記憶がよみがえった。あのころの私は無知で脳天気な少年だった。なのになぜ、寅彦の文章にだけあんなに強く惹かれたのか。その訳が知りたくて彼の随筆集を取り寄せ、ページをめくった。

だがいくら読んでも、これだと腑に落ちる理由が見つからない。読んだ記憶のある箇所もまるでない。そのぶん新鮮な驚きがあるから、少しも構わないのだが・・・・・・。

土曜の午後、読み止しの寅彦の本を家に置き、8歳の娘とたこ揚げに行った。正月に娘がインフルエンザにかかってお預けになっていた行事である。青梅街道そばの桃井原っぱ公園(広さ4ha)に立つと伸びやかな気持ちになった。

娘が、自分でたこを揚げると言い張った。去年までは最初から私が手伝わないと、たこはすぐ地面に墜落した。「大丈夫?」と訊ねると「ウン」と大きく肯いた。

「いいかい、風に向かって走るんだよ。たこが少し揚がったら、糸を緩める。下がりかけたらクイクイと引っ張ればいい。風に乗ったら自然と上がっていくから」

と教えたら、コツをすぐ呑み込んだ。アニメアイドルをプリントしたたこが風をはらんで空に舞い上がった。娘は糸を通じて風の息を感じている。止みかけた風がまた吹き、糸がピーンと張りだすと「来た! 来た!」と叫んだ。