20年東京五輪に向け賓客の「おもてなし」施設整備[東京]
浜離宮に明治の「延遼館」を復元

現在の延遼館跡付近=1月18日
浜離宮にあった延遼館=1887年撮影

「日本の伝統文化を伝える『和のおもてなし』ができる」。2020年東京五輪・パラリンピックに向け、東京都の舛添要一知事は年明け最初の定例記者会見で、浜離宮恩賜庭園(中央区)にあった迎賓施設「延遼館」を復元させる方針を明らかにした。昨年2月の知事就任間もない時期から意欲を示していた構想で、15年度一般会計予算案に調査・設計費約1億円を計上。実現に向けて大きく動き出した。ただ、延遼館は「洋風建築」とも評され、知事自身、一時は復元に慎重な発言をしていたこともある。明治時代に海外からの要人を迎えた施設は、五輪までにどんな姿を見せるのだろう。

「浜離宮の中に造るというだけで、日本文化を発信するという目的は、8、9割はかなったような気がする」。会見で舛添知事はこう胸を張った。建設費は概算で30億~40億円と見込み、昨年12月に住友不動産が旧都知事公館を43億6800万円で落札したことから、これを財源に建設費は賄えるという。知事は「おもてなしする時に公的な都の施設へ迎えるのは、公式な賓客として迎えることになる。民間を使ったとなると、相手からすると少し格が下がったことになる」と述べ、「自前」の施設に強いこだわりを見せる。

一方で、建設資材の高騰などを背景に、五輪の競技施設の整備費が当初見込み額を大幅に上回る見通しとなったことから、既存施設の活用などで経費削減の方針を打ち出した経緯があるだけに、コストパフォーマンスも強く意識したようだ。

浜離宮は、京都市の金閣、銀閣と同じく国の特別名勝・特別史跡に二重指定された貴重な都立庭園だ。高層ビルが建ち並ぶ都心部にありながら水と緑に恵まれ、五輪の競技会場や選手村が集まる東京湾の臨海エリアから水上バスで行くこともでき、ロケーションとして申し分ないと言える。江戸時代、徳川将軍家の鷹狩り場だった場所に屋敷が建てられ、十一代将軍・家斉(1773~1841)の時にほぼ現在の形になったとされる。明治維新後、宮内省(当時)所管となり、戦後に都に移管され、1946年から一般に開放されている。

この庭園にあった延遼館とは、どんな建築物なのか。都によると、明治2(1869)年に完成し、近代日本最初の迎賓施設とされる。木造平屋建ての瓦ぶきで、外壁は石張り。1890年に老朽化のため解体され、現在は更地になっている。文化財保護法に基づき、現状変更などをする際は文化庁長官の許可が必要になるため、都は今後、同庁との協議を進める。

東京五輪に向け、舛添知事が浜離宮での迎賓施設の建設について初めての公の場で意欲を示したのは、昨年3月。都議会の予算特別委員会で、当時都議会自民党に所属していた鈴木章浩都議による総括質疑に対する答弁だった。

鈴木都議「(五輪で)要人を首都・東京の長として単にお迎えするのではなく、日本の歴史や伝統、文化に触れてもらうことが重要。浜離宮には延遼館という外国の賓客をおもてなしする建物があった。海外の方々を魅了する舞台を整えるべきと考える」

舛添知事「大変すばらしい提案をいただいた。浜離宮の中のこの迎賓館、米国のグラント大統領は1カ月滞在されて、明治天皇と謁見もなさっている。そういう伝統ある場なので、ぜひ具体化に向けて検討したい」

鈴木都議「期待している。東京には国の赤坂迎賓館があるが、ネオバロック様式の西洋化した宮殿建築に日本の意匠が深く装飾になっているという状況。和魂洋才の建物ではなく、真の日本のおもてなしの象徴として、和の舞台をぜひ造っていただきたい」

翌4月の定例会見では、舛添知事は赤坂迎賓館について「西洋式。悪く言えばベルサイユ宮殿のまがい物、まねごと」と指摘。「伝統的、日本的な迎賓館があるのが望ましい」と和風迎賓施設の必要性を改めて強調した。

和風か洋風か、意見分かれる

ただ、舛添知事や鈴木都議が熱弁を振るうほどには、延遼館が「純和風」建築だったとは言い難い。浜離宮内の延遼館跡地に掲げられていた案内板には、「わが国最初の洋風石造建築物」と記されていた。知事自身、昨年9月の記者会見では「恐らくあの頃は、西洋風に造らないと外国の人には、おもてなしできないと思ってやっていた。そうすると、これはやはり、和のおもてなしができない。残念ながら、なかなか結論が出ない」と延遼館復元についての発言をトーンダウンさせていた。

それでも、各地をリサーチした結果、最終的には浜離宮に建てるのが最善と結論付けた。都心部では未利用の都有地が限られるうえ、五輪後の利活用を考えると、一般開放されている庭園内で都民に親しんでもらう方が、大会後のレガシー(遺産)としての意義が大きいと判断したようだ。

そうした中、都側からは、延遼館の「西洋色」を薄めたいという思いもにじむ。「西洋風の石造りといっても、やはり和風の建物です」。1月のある日曜日、庭園内では、公園を管理する「東京都公園協会」のもとで活動するボランティアの女性が、延遼館跡を前に、来園者にこんな説明をしている姿があった。「洋風石造建築物」と記していた案内板も、知事が記者会見で延遼館復元の方針を表明した1月6日に撤去されている。

ある建築の専門家は「少なくとも屋根は完全に和風。壁は石造だったかもしれないが、『洋風』と言うのは難しい」と語り、「洋風建築」との評価自体を疑問視しつつ、「もてなしのことを考えると、本当に大事なのは間取り」と指摘する。延遼館の詳細な設計図は残されておらず、当時の正確な間取りは明らかになっていない。ただ、残された数少ない資料である平面図を見ると、いくつもの個室が連なり、「ビジネスホテルのようだ」との見方もある。単に復元しただけの施設では、「和のおもてなし」は難しいようだ。5年後に向け、さらに知恵を絞る必要がありそうだ。

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