殺害直前に後藤健二さんの脳裏におそらくよぎった詩編
〔PHOTO〕gettyimages

「キリスト教徒の死生観」

【コメント】
1.―(1)
過激組織「イスラム国」による後藤健二氏の殺害をめぐって、さまざまな議論が展開されているが、後藤氏がプロテスタントのキリスト教徒であったことを考慮しないと、分析を誤る。

1.―(2)
例えば、2月4日、自民党の高村正彦副総裁は、<後藤健二さんが外務省から昨年9月以降、3回の渡航自粛要請を受けたにもかかわらず、中東の過激派「イスラム国」の支配地域に入り殺害されたことに「真の勇気でなく、蛮勇とも言うべきものであったと言わざるを得ない」と述べた。党本部で記者団に語った。/高村氏は、後藤さんがイスラム国の支配地域に入る前に「自己責任だ」と述べたことに触れ「個人で責任を取りえないようになることもありうる」と指摘した。>(前掲)。高村氏は、後藤氏の内在的論理を理解できないために、「蛮勇」という否定的評価をするのである。

2.―(1)
後藤氏は、日本基督教団に所属するプロテスタントのキリスト教徒だ。筆者も同じ教団に所属するプロテスタントなので、後藤氏の宗教人としての内在的論理を理解することができる。

(略)

イエス・キリストは、99匹の羊を野原に残してでも、迷った1匹の羊を探すべきだと言った。「イスラム国」に湯川遥菜さんが捕らえられたとき、誰も本気で彼を助け出そうとしなかった。後藤氏には、「誰もやらないのならば、君がやらなくてはならない」という神の声が聞こえたのだと思う。

2.―(2)
突然、心の中に聞こえてくる神の声をキリスト教徒は重視する。後藤氏の場合、湯川氏を捜すことが召命と思えたのである。だから、外務省の渡航自粛要請を無視したのだ。キリスト教徒にとって、神からの召命の方が国家の要請よりも上位に立つからだ。

3.―(1)
2014年5月30日付の日本のキリスト教系メールマガジン「クリスチャントゥデイ」に、後藤氏のインタビューが掲載されている(インタビュー「国際ジャーナリスト・後藤健二~それでも神は私を助けてくださる~」)。これを読むと後藤氏の信仰がよくわかる。

後藤氏は洗礼を受けたときの事情についてこう述べる。<「もし、取材先で命を落とすようなことがあったとき、誰にも看取られないで死ぬのは寂しいかなとも思いました。天国で父なる主イエス様が迎えてくださるのであれば、寂しくないかな…なんて、少々後ろ向きな考えで受洗を決意したのは事実です」と後藤さん。しかし、当時の牧師に「われわれの信じる神様は、われわれが死ぬときのためにいらっしゃるのではないのですよ」と咎められ、はっとした。>

後藤氏は、取材先での死を意識してキリスト教徒になった。ジャーナリストとの職業的良心とキリスト教徒としての信仰的良心をできるだけ重ね合わせるようにして生きてきたのだと思う。

3.―(4)
後藤氏は、黒装束のテロリストによって首にナイフを当てられたときも、うろたえず、まっすぐ前を向いていた。そのとき、心に刻み込んでいる詩編が脳裏をよぎったであろう。

<見よ、神はわたしを助けてくださる。
主はわたしの魂を支えてくださる。
わたしを陥れようとする者に災いを報い
あなたのまことに従って
彼らを絶やしてください。
主よ、わたしは自ら進んでいけにえをささげ
恵み深いあなたの御名に感謝します。
主は苦難から常に救い出してくださいます。
わたしの目が敵を支配しますように。>(「詩編」54編6~9節)

キリスト教徒にとって、死がすべての終わりではない。イエス・キリストを信じる者は、死から復活し、永遠の命を得ると信じている。・・・(以下略)

佐藤優直伝「インテリジェンスの教室」Vol.054(2015年2月13日配信)より

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