週刊現代
後藤健二さんの悲しみの中で見た平和への道標。「イスラム国」が狙ったネットによる憎悪の拡散

魚住昭の誌上デモ「わき道をゆく」連載第114回
〔PHOTO〕gettyimages

ジャーナリズムは世界を変えることができる。と、思った時期がある。40年前、共同通信の面接試験を受けたときのことだ。

志望動機を訊かれ「たった一つの真実を見つけさえすれば、世界が変わるかもしれないから」と答えて面接官を苦笑させた。

もちろん深い考えがあってのことではない。その場で心に浮かんだ言葉を言っただけだ。きっと面接官はこいつには妄想癖があると思っただろう。それでも入社させてくれたのだから、今から考えるとずいぶん鷹揚な会社だった。

でも、私はデマカセを言ったわけではない。戦禍の絶えない世界を変える真実をいつか見つけられたらと心の隅で夢想していた。

夢想はすぐ現実の壁にぶつかって雲散した。報道の仕事は予想以上に難しかった。自分に何ができて、何ができないかを見極めるのに20年費やした。40半ばでフリーになり、いっそうわが身の愚かさと卑小さを思い知った。ジャーナリズムが世界を変えるなんて幻想さ、と何度つぶやいたろう。

しかし、記者人生のゴールが近づくにつれ、私の心境は変わりはじめた。ジャーナリズムに希望の灯を垣間見るようになった。とくに「イスラム国」の人質事件が起きてから、それを強く感じる。

後藤健二さん(47歳)が戦地の子供らを取材する映像がテレビに流れ、新聞に載った。素敵な笑顔だった。子供らの痛みをわがものとする人ならではの優しさと深い悲しみを湛えた笑みだった。

彼はかけがえのない命の輝きを伝えたかったのだろう。そうすることが子供たちを救い、戦争をなくすことにつながると信じていたにちがいない。その信念の揺るぎなさが私たちの胸を打った。

湯川遥菜さん(42歳)の「殺害映像」がアップされた5日後の1月29日午後、私はNHK放送研修センター(世田谷区砧)に行った。以前から頼まれていた調査報道に関する話をするためだ。

このとき「イスラム国」の要求は2億ドルの身代金から、ヨルダンで収監中の死刑囚と後藤さんの交換に変わっていた。ヨルダン国民が自国パイロットの解放優先を求めるのを見越しての無理難題だ。

もしかして「イスラム国」の狙いは金でも死刑囚でもないのではないか。だとすれば後藤さんの命は・・・・・・重苦しい気分だった。

それでも自分の責務は果たさなければならぬ。広々とした部屋に入ると、三十数人の若い男女が待っていた。全国から調査報道研修のために集まってきた入局2~5年目の記者たちだ。私の役割は、当局の発表に頼らない取材の意味を彼らに伝えることである。ひょっとしたら、私の不用意な一言が彼らの記者人生を台無しにするかも。そう考えると、緊張せざるを得なかった。前の晩に半分徹夜で書き上げた原稿を見ながら、私はいきなり本題に入った。