800年の歴史の中で多くの優秀な研究者たちを生み出してきた「ケンブリッジの研究土壌」
「日本人、オックスブリッジに挑む」研究者編

シリーズ「日本人、オックスブリッジに挑む」では、様々な形でオックスブリッジに挑戦する日本人の姿を紹介していきます。今回は第6弾、研究者編として、大学卒業後に研究員としてみるオックスブリッジを紹介します。

自研究室で研究室メンバーと(筆者は左端)。世界各国からの学生やポスドクとともに研究を行う。
木全 諭宇
愛知県生まれ。京都大学理学部卒、同大学院生命科学研究科博士課程修了後、2004年に渡英。サリー州のマリーキュリー研究所(現在は閉鎖)でのポスドク研究員を経て、2009年より2年間、日本学術振興会海外特別研究員としてケンブリッジ大学遺伝学部にて細胞分裂の研究を行う。2011年より世界最大の癌研究チャリティーであるCancer Research UKのキャリア・ディベロップメント・フェローとして、同学部に自身の研究室を開設し、グループ・リーダーとして現在に至る。多細胞生物の個体発生時に、細胞の増殖と細胞の機能分化を協調させる分子機構の解明を目指し、研究を行っている。

はじめに

本シリーズでは現在まで、「オックスブリッジで学ぶ」という体験とはどのようなものか、そしてその経験を得るべき様々な方法論を紹介してきた。しかし、「私はもう学生ではないから」という理由で、オックスブリッジでの体験をあきらめる必要はない。「研究者編」と題した本稿では、日本の大学院で博士課程を修了したのち、「ポスドク研究員」(以下、ポスドクと略称)としてオックスブリッジで研究するという体験について、筆者自身の経験を踏まえ紹介してみたい。また、大学にとっては「お客さま」でもある「学生」という立場とは違い、大学のスタッフ研究員、言いかえれば「雇われる身」として見たオックスブリッジの側面についても少し紹介する。

筆者は、ケンブリッジ大学の理科系に在籍しており、文系分野やオックスフォード大学での研究の詳細はあまり深く知り得ない。共通する点はかなり多いと思われるが、もし理解の行き届かない点があった際にはご容赦いただきたい。

ケンブリッジで研究することの意義

大学とは、高等教育機関であると同時に、企業が行うことは難しい基礎的研究が行われる研究機関でもある。一般的にオックスフォードは文系 、ケンブリッジは理系が強いという傾向はあるものの、両大学ともに、分野を問わず、英国内そして世界レベルで1、2の研究成果を競い合う最高峰の研究機関であることは疑いの余地がない。両校に在籍した経歴のある研究者も数多く、「車椅子の科学者」として有名なスティーブン・ホーキング博士や、2012年に京都大学の山中伸弥教授とともにノーベル生理学賞を受賞したジョン・ガードン博士も、そのような経歴の持ち主である。このようなオックスブリッジには、ノーベル賞受賞者を含む有名な教授から、自信過剰で怖いものしらずの大学院生、そしてキャリアアップのための大成果を狙う野心的なポスドクまで、数多くの人材が世界中から集い、互いに切磋琢磨しあいながら最先端の研究に携わっている。

生物学を専攻する筆者にとって、進化論を唱えたダーウィンや、現在の分子生物学の興隆の発端となった「DNAの二重らせん構造」を発見したワトソンとクリックが在籍したケンブリッジ大学は、 まさしく「夢の場所」であった。しかし、そんな夢の地に実際に筆者がたどり着いたのは、ポスドクというキャリアにおいても比較的遅く、博士課程終了後、ポスドク経験も5年目をすぎた時であった。学生時代に目覚ましい業績のなかった博士課程修了当初の筆者には、ケンブリッジ大学は身の丈にあまる大舞台であるように感じたためである。実際、その5年後にケンブリッジに移動した当初ですら、在籍する有名教授たちの名声や最先端の研究の華々しさ、さらには、周りの研究者の優秀さや個性の強さに圧倒された感がある。しかし、時間とともにそんな環境にもなれるにつれ、800年にわたる大学の歴史の中で育まれてきた「ケンブリッジ研究土壌」ともいうべきユニークな側面が見えてきた。

オックスブリッジの研究が国際的にもトップレベルであるのは疑いないが、研究の質やアウトプットのみに絞ってしまえば、近いレベルあるいはそれ以上の研究を行っている研究機関は、日本国内も含め、世界に多く存在するだろう。また、ケンブリッジ大学と一括りにしてしまったが、実は大学には学部(department)と研究所(institute)の二種類の研究施設が存在し、研究所は研究こそがフォーカスであるのに対し、学部は教育をメインとする側面がある。それゆえ、研究のプロダクティビティや実験施設・サポート面に関していうと、学部は研究所より格段に劣る傾向があり、それはケンブリッジ大学においても当てはまる。2009年の経済危機以来、基礎研究への研究費取得が一層難しくなってきた昨今では、ケンブリッジ大学といえど学部においては、研究資金を得られずに事実上研究をストップしている名目のみの研究室も見受けられる。

そんなケンブリッジ大学での研究を、世界でも特にユニークで有意義なものにしているのは、これほど多くの優秀な研究者たちが、これほどの高密度で集まっているという事実である。おそらく1万人近い数の研究者たちが、様々な研究室、さらに学部や研究所に分かれ、自転車で30分あれば横切れてしまうような、ケンブリッジという小さな町に凝縮しているのである。実際にケンブリッジにおいて研究をする最大の利点は、この特殊な地理的環境を生かした、研究者間での親密で活発な交流である。オックスブリッジ特有の学際性重視の傾向が影響しているのか、多くの人は非常にオープンで、研究に関するディスカッションや共同研究の相談、また、実験試料やアドバイスの提供にいたるまで、emailを一つ書くだけで、簡単にそのような機会をつくることができてしまう。