スポーツ

特別読み物 かつては「天才」と呼ばれた地元の英雄 息子たちの帰郷「父さん、俺、プロ野球では通用しなかったよ」

夢破れて戻ってきた我が子を、父は、母はどう受け入れたのか

2015年02月14日(土) 週刊現代
週刊現代

息子から失意の報告を受けた親たちは、彼らの第二の人生に頭をめぐらせた。人生の先輩として厳しく接する場合もあれば、あえて何も言わない時もある。そこにはそれぞれの、親子の物語があった。

「お疲れさんやったなあ」と

元巨人投手の辻内崇伸(27歳)の母・佳子さんは'13年秋、戦力外になったことを知らせてきた野太い辻内の声を、今でも鮮明に覚えている。

「電話がかかってきましてね。『クビになったから。明日、新聞に載るよ。プロで活躍できずに申し訳ない』と。私は『お疲れさんやったなあ』とねぎらいました。あの年までの数年は、秋になると戦力外リストに名前が載っているのでは、と新聞とにらめっこ。ドキドキしていました。高校3年の夏、あれほど甲子園を沸かせたあの子でも、プロでは通用せんかったんやねえ。戦力外はさびしかったけど、『もうドキドキしなくて済む』とほっとする気持ちもありました」

辻内は大阪桐蔭高時代、甲子園で国内左腕最速の156㎞を記録。松井秀喜以来の高卒で契約金1億円、年俸900万円と破格の評価を受け、ドラフト1位で入団した。だが、入団後は2度のひじの手術の影響もあり、8年間で一度も一軍登板できないまま、プロ生活を終えた。

25歳で迎えた第二の人生。パチンコ好きの辻内は現役時代、おカネの使い方が派手だった。サラリーマンの父・伸詞氏は息子と、よく口論になったと言う。

「彼の年俸を月で割り、『使えるのはひと月これだけやで』と決めたこともあります。それでも毎月、限度額を完全にオーバーする。ですから、戦力外になった後、まずその金銭感覚を普通のレベルに戻さないといけないと思った。アルバイトでもいいから、汗水流して1回おカネを稼いでみろ、と話しました」

時給700~800円のアルバイトを勧めても、辻内はいろんな言い訳をしては、重い腰をあげない。伸詞氏が続ける。

「仕事を選ぶ時、内容より給料のいいところを探してしまう。最初、知人に紹介してもらった不動産会社に話を聞きにいったようですが、その社長から懇々と『そんな甘い考えでは無理や』と言われたようです。宅建の免許が必要だし、元プロ野球選手だからといって、すぐに契約がとれるわけではない」

再就職先の選択肢がどんどん狭まる中、道を開いてくれたのは、かつての恩師だった。大阪桐蔭高の西谷浩一監督が女子プロ野球を指導する道を勧めてくれ、埼玉に拠点を置く日本女子プロ野球のイースト・アストライアのコーチに就任。女子プロ野球を支援するサプリメント事業会社の正社員となった。まだ心配は尽きないが、佳子さんは言う。

「生きる世界が変わっても、人間同士の付き合いは大事にしてほしい。プロ野球選手ではなくなって、これからもいろんな人に助けてもらわなくてはいけません。あの子も少しずつ、そのことがわかってきたようです」

1
nextpage


Special Feature
最新号のご紹介