第111回 藤山愛一郎(その二)岸信介の要請で外務大臣に就任。そして日本最後の「井戸塀政治家」へ---

2015年02月13日(金) 福田 和也

「井戸塀政治家」という言葉をご存じだろうか。

国事のために自らの財をはたいて奔走し、結局残ったのは「井戸」と「塀」だけという、今では絶滅したのではないかと思われる、殊勝な政治家のことである。
藤山愛一郎は日本における最後の「井戸塀政治家」といえるのではないだろうか。

実業家として挫折しらずに還暦を迎えた愛一郎の政界に入るきっかけをつくったのは、岸信介である。

愛一郎は、昭和14年に岸が阿部信行内閣の商工次官になった頃から岸との親交が深くなり、戦後は保守合同や総裁問題などで、終始岸を支援した。
岸がはじめて愛一郎に政界入りをもちかけたのは、昭和31年11月。愛一郎が政府の経済査察使として中東を廻って帰ってきた時で、自民党の総裁選挙の直前であった。

「自分は自民党の総裁になり、そして総理大臣になるかもしれない。そうした場合、立派な内閣を作りたいと思っているが、特に重要な外務大臣を、君がやってくれないか」という依頼を、愛一郎は「自分は、一生、民間人として通したい、あなたには閣外から援助をしよう」と断ったという。

結局岸は総裁選で石橋湛山に敗れたので、その問題は立ち消えになった。ところが翌年2月22日、石橋が病気で引退を表明したため、25日には岸内閣が成立。再び「真剣に外務大臣としての入閣を検討してくれ」と要請してきたのだった。
周囲は猛反対した。おぼっちゃん育ちで人のいい愛一郎がドロドロの政界でどんな目に遭うのかは容易に想像できたのだろう。

しかし7月10日、愛一郎は正式に外務大臣の就任を受諾した。
岸、愛一郎ともに懇意にしている参議院議員・井野碩哉から強く説得されたということもあるが、これまでの恵まれた人生への御礼という意味あいもあったという。
それがはなはだ甘い考えであったということを、愛一郎は身をもって知ることとなる。

外相に就任した翌日、愛一郎は自民党に入党した。
このとき、愛一郎は日本商工会議所の会頭をはじめ財界の要職を兼ねており、肩書きは202にものぼっていた。
その全てを辞任しての政界転出だった。
外相就任の翌日、「絹のハンカチから雑巾に」という、愛一郎を評した、評論家の大宅壮一の言葉が新聞に載った。

この言葉は、たちまち世間に広がった。
就任して2ヵ月後には、ニューヨークで行われた国連総会に出席。外相として初の国際舞台に、「核実験停止決議案」をもって臨んだ。
唯一の被爆国である日本の立場を明確にし、米ソの主張の食い違いを近づけ、妥協点に達するよう配慮した演説は、「現実に即した大人の外交」として、評価された。

安保改定は外相のうちに成し遂げなければならない

その後も、インドネシアとベトナムの賠償問題に取り組むなど、一年生大臣として奔走する愛一郎だったが、議席を持っていないという問題にぶつかる。

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