ひとり息子は13歳で海を渡った 世界の錦織圭から島根の両親(父は土木技術者、母は主婦)へ
週刊現代 プロフィール

錦織の活躍はテニス関係者の目に留まり、松岡修造氏が開催する強化合宿「修造チャレンジ」に参加。錦織は「本気でプロになりたい」と考えるようになる。

そんな時に出会ったのが、ソニーの創業者、盛田昭夫氏(故人)の実弟で、日本テニス協会名誉会長の盛田正明氏だった。

「世界トップレベルの選手を作る」という目的の元、盛田氏が私財を投じて設立した「盛田テニスファンド」に、錦織は練習生として招かれるようになった。

「休憩時間にテニスボールでリフティングしたり、ラケットにボールを載せて遊んでいたのを覚えています。その時は『器用な子だなあ』くらいにしか思いませんでしたが、今になって思えば、そうした遊び心が、試合でどんな球でも拾うプレーに繋がっているような気がします」(盛田氏)

'03年、13歳(中学2年生)だった錦織に、大きな転機が訪れる。

盛田ファンドの奨学金制度で、米国のフロリダ州にあるIMGアカデミー(プロスポーツ選手養成所)にテニス留学するチャンスが巡ってきたのだ。

IMGの元コーチで、錦織をスカウトしたゲイブ・ハラミロ氏が言う。

「盛田テニスファンドを視察し、ケイを含め3人の選手をアメリカに連れて帰りたいと、盛田さんに伝えました。当時、ケイは実力的には3番目でしたが、私の目には№1に映りました。なぜなら、彼はとても速く、恐いもの知らずに見えたからです。この少年はいずれ大物になると感じました」

しかし、米国に行ったからといって必ずプロになって成功する保証はない。しかも日本にはテニスだけで飯を食えるようなプロはほとんどいなかった。まだ義務教育も終わっていない段階で息子に大きなリスクを背負わせ、海外に行かせることに両親は悩んだという。

「まだ13歳の子が親元から離れて、異国の地で生活するわけですから、それはご両親も心配だったと思います。いまでこそ、圭の活躍のおかげで盛田ファンドは有名になりましたが、当時はまだ設立4年目で実績もなかったですから。

でも私たちは、きっと圭が世界で活躍できる選手になると信じていました。最終的に私たちを信頼して、圭を預けてくれたご両親には、本当に感謝の言葉しかありません」(盛田氏)

錦織本人はもちろんだが、送り出す両親にも相当な覚悟が必要だったことは想像に難くない。

「お父さんは『目の前にあるチャンスを自分で摑んで来い』という強い思いで圭を送り出したんです。圭のご両親が素晴らしいのは、13歳の息子の『アメリカに行きたい』という気持ちを尊重したこと。頭では分かっていても、本当に子供のことを信頼してないと、なかなかできないことですよ」(前出の柏井コーチ)