ひとり息子は13歳で海を渡った 世界の錦織圭から島根の両親(父は土木技術者、母は主婦)へ
週刊現代 プロフィール

錦織がテニスを始めたのは5歳の時。きっかけは、父親が社員旅行先のハワイで買ってきた一本の子供用のラケットだった。すでに姉がテニスを始めていたこともあり、錦織もほどなく松江市内の「グリーンテニススクール」に通い始める。

当時、錦織を指導したコーチの柏井正樹氏が、その頃の錦織の印象を語る。

「最初はお母さんの陰に隠れるようなシャイな子供でしたね。ところが、いざボールを打つとすごく光るものを持っていた。身体は小さいけど、ボールコントロールが抜群にうまく、どんなボールでも当てて返してくる。この島根からついに、プロ選手が生まれるのではないかと期待しました」

全国大会などの遠征時に錦織に帯同し、それ以来、家族ぐるみの付き合いを続けている石光孝次コーチは、父親についてこう語る。

「圭のお父さんは勝負師なんです。麻雀が好きで駆け引きをするのがうまく、それがいい形で圭に受け継がれている。幼い頃から圭は、どこに打ったら相手が嫌がるかを知っていて、大人のこちらを見透かしたようなショットを打っていましたから。

また、お父さんは圭を無理やり型に嵌めるようなことはしませんでした。今では圭の代名詞となった『エアケイ』にしても、最初はコーチから『ショットが安定しないから飛ぶな』と怒られていましたが、お父さんは黙って圭のやりたいようにさせていた。それどころか野茂のトルネード投法や、イチローの振り子打法をサーブに取り入れるなど、遊び心を大切にしていましたね」

型に嵌まらず、遊び心を忘れない—それは錦織のテニスの原点であり、世界ランキング5位になった今も変わらない。

島根に生まれてよかった

島根で生まれ育ったことも、錦織の成長に大きなプラスとなったという。前出の柏井コーチが語る。

「大都市圏だと思春期の誘惑も多いし、いくら才能のある子でも周りに流されて、結局埋もれてしまうことが多々あります。それに比べ、島根は静かだし、テニスに集中できる環境が整っている。

また、場数を踏むことが圭の成長には欠かせないと思っていましたから、そういう点でも島根は良かった。島根は強い選手が多くないので、圭は小学校の低学年から中国大会や全国大会に出ることができた。何事にも動じない圭のメンタルは、小さい頃から大きな大会の雰囲気を肌で感じ取ることで培われたんです」

世界中を転戦するようになった今でも、錦織は日本に帰国すると、必ず島根の実家に帰るという。錦織家の仲の良さは地元でも有名だ。身体は遠く離れていても、錦織は両親のこと、そして島根のことを忘れたことはない。

錦織の才能が本格的に開花したのは、小学6年生の時。全国小学生テニス選手権大会で優勝を果たす。