スペシャルインタビュー 甲子園優勝3回、通算62勝の秘密 野球部コーチを勇退した小倉清一郎氏が明かす「横浜高校はここまでやっていたから、勝てた」

怒鳴り、叱咤し、嫌われ役になりながら、常勝軍団・横浜を作り上げた小倉の情熱は、70歳になってもまったく衰えない。「勝利こそ選手を育てる」という信念のもと、男は今も高校生を指導し続けている。

選手の甘えは許さない

鹿児島の離島・奄美大島に、高校野球界きっての名伯楽、小倉清一郎(70歳)の怒号が響いていた。

「おめえらへったくそだなあ。これじゃ俺の野球はできねえ。そこの肩の弱えヤツ、何度注意しても暴投じゃねえか。もう外へ出ろ!」

罵声を浴びせられていたのは、鹿児島県立大島高校のナインである。'14年春、21世紀枠でセンバツに出場した同校野球部であるが、昨秋は県大会の1回戦で敗れた。毎年のように甲子園を狙う、いわゆる強豪校ではない。島のナインは、小倉の求めるレベルについていけず、馴染みのないべらんめえ調の叱咤に面食らい、萎縮してしまっていた。

昨年8月に退任するまで、小倉は長く名門・横浜高校の部長、コーチを歴任し、甲子園通算51勝の監督・渡辺元智を陰ながら支えて来た。松坂大輔(現ソフトバンク)、涌井秀章(現千葉ロッテ)ら、プロに進んだ教え子は優に40人をこえる。

常に甲子園を目指し、プロで大成する選手を育てる横浜での厳しい指導を、遠く奄美でも行っていた。

「俺はどうしても勝利至上主義に走りすぎてしまうから、教育者には向いていない。参謀役が適任だったんだよ。巨人のV9時代には、川上哲治監督の腹心に牧野茂さんがいた。かっこつけた言い方だけど、俺は牧野さんに憧れていた」

参謀という目立たぬ立場で、小倉ほど高校野球界に名を馳せた野球人はいない。小倉はいかにして「勝てるチーム」を作り上げてきたのか。その秘密を明かした。

練習中の言葉がきついのは、選手の〝甘え〟を許したくないからです。高校を卒業し、大人になれば誰も助けてはくれない。自分ひとりで生き抜く力を若いうちに育まなければいけない。それを野球というスポーツを通じて教えようとしているだけなんです。

松坂が高校生だった'98年に、まだ生まれていない球児だって今はいるんだから、誰も俺のことなんて知らないだろうね。選手は口うるさいオヤジぐらいに思っているはず。本当は俺だって嫌われたくはないし、今の時代の高校生には、褒めて伸ばすのも大事だということもわかっている。ただ、俺は褒めることや優しい言葉をかけることが苦手だし、選手に媚びを売ってまで指導したくない。預かったチームを強くするために嫌な役どころを自ら買って出てきたという面はあります。

確かに大島高校のような野球部は、横浜高校とは違います。俺の要求は高く、なかなかついてこられないとは思う。だけど、他の指導者が彼らを俺以上に成長させられるかといったら、違うと断言できる。誰より彼らの「のびしろ」を作るだけの自信はある。