面白いドラマは脚本で決まる! 脚本家はもっと大切にされるべき
「相棒」HPより

「一に脚本、二に役者、演出は三番目」というのが、ドラマや映画、演劇の定説だ。どんなに名優を揃えようが、脚本が面白くなかったら、名作には成り得ない。演出面でも同じで、どんなに優れたディレクターや監督が作品を手掛けようが、脚本の拙さは致命傷になる。

故・黒澤明さんや山田洋次氏ら巨匠と呼ばれる人たちはそれが分かっているので、自分で脚本まで書くこともある。巨匠と称されるような人は大抵、脚本も書けてしまう。両氏と世代は違うが、『あまちゃん』(NHK)に登場した松尾スズキ氏らも演出と脚本のどちらも手掛ける。

脚本が大切なのは誰でも分かっていること。ところが、ドラマ界においては黎明期からしばらく脚本家が日陰者扱いされた時期があり、やっと作者の名前が前面に出たのは1976年。記念すべき第一作は「山田太一作品」と銘打たれた『男たちの旅路』(NHK)だった。同時代には倉本聰氏や故・向田邦子氏、故・市川森一氏らも大活躍したことから、見る側も誰が作者なのかを意識してドラマを選ぶようになった。

優れた脚本家たちが台頭した時代は、例外なくドラマの黄金期と重なる。そんな時期はテレビ局側も脚本家たちを厚遇していた。才能を守るべく最大限の努力をした。たとえば、『想い出づくり。』(TBS)や『ふぞろいの林檎たち』(同)などの名作群を手掛けた故・大山勝美プロデューサーと山田太一氏の二人三脚は有名な話だ。

最近のドラマのうまい脚本

さて、最近はどうだろう。新聞の番組紹介欄を眺めてみると、脚本家の名前が記されたドラマはほとんどない。それどころか、ある中堅脚本家は「某民放は、プロデューサーが脚本の中身を細かに指図するし、酷いときには断りなしに直す」と嘆く。脚本家が消耗品扱いされているらしい。これでは、面白いドラマは出来ないはずだ。事実、この民放のドラマは近年、勢いを失っている。

逆に、13作目になっても人気の『相棒』(テレビ朝日)は脚本を重んじている。約10人も脚本家を擁し、優れた作品だけを採用するというのだから、ロングヒットを続けていることが素直に頷ける。

1月スタートの連続ドラマを一通り眺めると、視聴率好調の作品はやはり例外なく脚本が良い。『○○妻』(日本テレビ)は巨匠の域に入りつつある遊川和彦氏の脚本。ご存じの通り、『家政婦のミタ』(同、2011年)の作者だ。今回も期待を裏切っていない。清新な筋書きと言えるだろう。

流星ワゴン』(TBS)は重松清氏の小説が原作だが、脚本は新鋭の八津弘幸氏が書いている。池井戸潤氏が原作者である『半沢直樹』(2012年)を、見事なまでにドラマ化したのが八津氏だ。この作品では主役が西島秀俊と香川照之の二人であるため、原作上の登場人物を、二人の持ち味に合わせてデフォルメしている。セリフの作り方もうまい。

フジテレビの新しい月9『デート~恋とはどんなものかしら~』は古沢良太氏が書いている。同局『リーガル・ハイ』(2012年)やNHK『外事警察』(2009年)の作者だ。『リーガル・ハイ』では、見る側に「正義とは何か?」というメッセージを投げ掛けた古沢氏だが、今度は「恋や愛って何だ?」と問うつもりだろう。

古沢氏は実体がないものを掘り下げてゆき、それをドラマに仕立てるのが抜群にうまい。「正義」にも形がなく、それどころか、その基準すら国や時代、政治観、宗教観によって全く違う。実は、正義とは曖昧模糊としたものに過ぎない。

ところが、正義とは何かを突き詰めようとしたドラマは少なく、大抵はお手軽に刑事や検事、弁護士を正義の人に仕立て上げてしまう。それに異を唱えたのが『リーガル・ハイ』だったと思っている。性格破綻者だが、法廷戦術に秀でた主人公(古美門研介弁護士=堺雅人)に裁判で勝ち続けさせることにより、見る側に正義とは何かを考えさせてくれた。

実社会に目を移せば誰にでも分かることだが、凡百のドラマとは違い、警察や検察、弁護士が、正義の味方とは限らない。たとえば、現実には不倫相手を殺してしまう警察官もいるし、証拠を捏造する検事もいる。あるいは被害者を脅す弁護士も存在する。にもかかわらず、大半のドラマでは刑事や検事、弁護士が、あまりにも格好良く描かれ過ぎていた。

『リーガル・ハイ』は違った。法廷で連戦連勝の弁護士であろうが、人間としても立派であるとは限らないことを強調した。裁判の結果が正義であるとは限らないことも示した。事実、冤罪は絶えないし、裁判官ですら不祥事を起こす。そういった法曹界の実態や正義の実像を、コメディ調にカリカチュア化して描いた作品が『リーガル・ハイ』だったと思っている。

『デート』にも古沢イズムが通底しているのだろう。「恋や愛」がカリカチュア化されているように映る。たぶん、今度は恋や愛を突き詰めようとしているのだろう。1月19日放送の初回では、主人公の藪下依子(杏)とお相手の谷口巧(長谷川博己)が恋愛について雄弁に語ったが、そのセリフの応酬が、恋愛を検証しようとしている表れなのではないか。『リーガル・ハイ』もセリフ劇だった。

『デート』は斬新な恋愛ドラマだ。実社会の恋愛の形は千差万別であり、十人十色なのだが、これまでの恋愛ドラマはパターン化され過ぎていた嫌いがある。型通りの刑事ドラマと同じだ。片や『デート』は設定からして旧来の恋愛ドラマとは違う。主人公・依子は東京大学大学院卒の研究員で、功は高等遊民を気取るニートという設定。恋愛ドラマでは、あまり聞かない格差カップルである。

しかし、実社会に目を移すと、格差も年の差も別に珍しいことではない。そもそも恋愛において、学歴や収入、社会的立場は重んじられるべき条件なのか? 古沢氏らしい挑戦的な設定と捉えるべきなのだろう。この二人が、どう恋愛を論じ、旧来の恋愛ドラマの概念をぶち壊していくのかが楽しみだ。

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