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福島第一原発事故 東日本壊滅の危機に最も近づいた「2号機爆発」の危機 第2回

ドキュメント 福島第一原発事故 東電技術者たちが語った「恐怖の瞬間」
NHKメルトダウン取材班が2013年に執筆した『メルトダウン 連鎖の真相』。事故を時系列に忠実にノンフィクションとして書き下ろしたもので、 作家の立花隆氏が「圧倒的に情報量が多い。内容的にも最良」(2013年7月11日号)と絶賛した。写真や図版も多数収録されており、事故の全体像がわかると専門家からも高く評価されている

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福島第一原発事故では、1号機から3号機の原子炉が相次いでメルトダウンした。そして、1号機と3号機は水素爆発を起こして、大量のがれきを散乱させ、原子炉建屋の骨組みが剥き出しになるという無残な姿をさらした。これに対して2号機は、水素爆発を免れ、ブローアウトパネルと呼ばれる最上階フロアに設置された通気孔が開いているのを除いて、その佇まいは事故前とほとんど変わらない。

しかし、この2号機こそが、吉田昌郎福島第一原発所長に「死ぬかと思った」と言わしめた「主戦場」となった。2号機が危機を迎えた3月15日未明、2号機の原子炉格納容器は破損し、大量の放射性物質が飛散したと考えられている。「東日本壊滅の危機」に最も近づいたとされる「恐怖の瞬間」とはいかなるものだったのか。

2号機の危機を克明に描いた、『メルトダウン連鎖の真相』(講談社)の 第7章を3回にわたって転載する。今回は連載の第2回目。

2号機のジレンマ 4号機爆発まで     14時間44分

2号機への注水ラインが整った午後3時半すぎ。免震棟はジレンマに陥っていた。

待ちに待った注水ラインが完成し、吉田以下免震棟の誰もが、一刻も早く2号機への消防注水を開始したかった。そのためには、原子炉の圧力を下げなければいけなかった。

ところが、その減圧作業にすぐに入れない問題が生じていたのだ。

原子炉は通常70気圧ある。これに対して、消防車のポンプは9気圧前後のため、原子炉の圧力を大幅に下げなければならない。そのために、SR弁と呼ばれる主蒸気逃がし安全弁を開いて、原子炉の高圧の水蒸気を格納容器に逃がしてやる必要があった。通常、SR弁が開くと、原子炉から抜けた高温の水蒸気は、格納容器の下部にあるサプレッションチェンバー(圧力抑制室)と呼ばれる巨大なドーナツ型の設備にたまる、およそ3000トンもの冷却水によって冷やされ、水に凝縮される。高温高圧の水蒸気が流れ込んでも、格納容器の温度を一定に保ち、圧力を維持するための仕組みだった。

しかし、このとき、2号機のサプレッションチェンバーに異変が起きていた。想定外の運用を続けてきた結果、水温149℃、圧力4・8気圧と、設計段階の最高想定を超える異常な高温高圧状態になっていたのだ。

サプレッションチェンバー(圧力抑制室)沸騰水型炉(BWR)だけにある装置 で、常時約3000立方cm2(福島第一原発2~5号機の場合)の冷却水を保有しており、万一、圧力容器内の冷却水が何らかの事故で減少し、蒸気圧が高く なった場合、この蒸気をベント管等により圧力抑制室に導いて冷却し、圧力容器内の圧力を低下させる設備。また、非常用炉心冷却系(ECCS)の水源として も使用するCG:NHKスペシャル『メルトダウンⅢ原子炉〝冷却〟の死角』

実は、2号機は12日午前2時55分にRCICが作動していることが確認できた際、運転員が、水源をサプレッションチェンバーに切り替えていた。本来の水源である冷却水タンクの水が残り少なかったためだった。それから実に2日半にわたってRCICが作動し続けたことで、原子炉からもたらされる水蒸気によって、サプレッションチェンバーが異常な高温高圧状態になっていたのだ。このうえに、SR弁から一気に水蒸気がサプレッションチェンバーに流れ込むと、その温度と圧力をさらに上昇させ、破損する恐れさえあった。

吉田は、本店とのテレビ会議の中で、まずは格納容器から気体を外部に放出するベントを行って、サプレッションチェンバーの圧力を下げてから、原子炉を減圧して注水する方向で協議していた。

沸騰する2号機のサプレッションチェンバー2号機のサプレッションチェンバー (圧力抑制室)には3000トンの冷却水がたまっている。RCIC冷却水の水源として流用したため、2日半にわたる原子炉の冷却作業の結果、サプレッショ ンチェンバーは通常の運転ではありえない高温高圧の状態にあった。この状態でSR弁を開放すると、圧力容器から高温高圧の水蒸気がさらに流れ込み、サプ レッションチェンバーを破壊する恐れがあった。同時に、消防車による注水を行うためには、SR弁を開放して原子炉の圧力を開放する必要があった。吉田所長 以下、東京電力の技術者たちは難しい判断を迫られることになったCG:NHKスペシャル『メルトダウンⅢ原子炉〝冷却〟の死角』

技術班の机では、〝安全屋〟と呼ばれる解析担当者たちが、吉田の指示を受けて、2号機の原子炉水位の予測やサプレッションチェンバーの温度や圧力の予測をパソコンを駆使して懸命に試算していた。

午後4時をまわったころだった。テレビ会議で本店と議論をしていた吉田の携帯電話が鳴った。ちょうど同じころテレビ会議では、本店の高橋明男フェロー(58歳)が吉田に呼びかけた。

「吉田所長。ごめんなさい。聞こえますか。吉田所長」

呼ばれた吉田は、誰かと電話で会話を続けていた。

福島第一原発の担当者が「吉田さん今電話に出ています」と伝えた。

高橋がややうんざりといった様子で発言する。

NHKスペシャル『メルトダウン』シリーズでは、これまで5本の番組が放映され、文化庁芸術祭テレビ・ドキュメンタリー部門大賞を受賞するなど、内外で高く評価されてきた。2015年1月16日、約3年半にわたる同取材班の調査報道をまとめた『福島第一原発事故 7つの謎』が講談社現代新書より刊行された。事故の時系列の流れを追った同取材班による『メルトダウン 連鎖の真相』と併せ読むと、複雑な巨大事故の全体像がよく理解できる

「いまね、官邸からね、注入開始しろという電話がいっているはずなんですよ。それ言おうと思ったんだけど」

高橋は、総理官邸から所長に電話がかかるはずだと伝えようとしたのだが、すでに吉田に電話がかかっていた。吉田が、電話をいったん置いて、テレビ会議の出席者に呼びかけた。

「えっと、みなさん聞いて。本店さんも聞いてください。今、安全委員長の班目先生から電話が来まして、格納容器のベントラインを活かすよりも注水を先にすべきではないかと。要するに減圧すると水が入っていくんだから。一刻も早く水を入れるべきだというサジェスチョンが安全委員長から来たんですが……」

吉田と電話をしていたのは、原子力安全委員会の班目春樹委員長(62歳)だった。

前日の13日未明から総理大臣官邸5階に集まった海江田万里経済産業大臣や細野豪志総理大臣補佐官(39歳)らが、班目委員長とともに、しばしば吉田所長に電話をかけて、福島第一原発の状況を聞いていた。そして、時折、事故対応についても意見を言ってきていた。

今回は、班目が、すぐにSR弁を開けて2号機を減圧して注水するべきだと提案してきたのだった。吉田は、電話をつないだまま、免震棟にいる技術班に向かって聞いた。

「そのサジェスチョンに対して、安全屋さんそれでいいかしら? そういう判断で」

吉田から返答をふられた技術班の解析担当者は、すぐに答えた。

「サプレッションチェンバーの水温が130℃を超えています」

サプレッションチェンバーが高温高圧だから、SR弁を開きたくても開けないのだ。解析担当者は、この状態でSR弁を開いても、サプレッションチェンバーが高温高圧のため減圧できない恐れがあることを説明した。

吉田は、再び班目と話す。

「先生、安全屋に聞いたら、サプレッションチェンバーの水温がもう100℃を超えてるというんですよ。おそらく入らない可能性が高いと言っている。そこは、安全屋と話をさせますんで……」

危機的な状況にあった2号機では、SR弁開放とベント弁開放のいずれを優先するかをめぐって、吉田所長(写真左)と班目春樹原子力安全委員会委員長の間で意見の相違があった 写真:NHK

吉田が回してきた班目からの電話は、すぐ近くにいた同僚が受け取った。

「もしもし、お電話かわりました……」

テレビ会議で一部始終を見聞きしていた社長の清水以下本店の幹部も、SR弁の開放よりまずはベントを優先すべきという見解に異論はなかった。格納容器から圧を抜き、高温高圧になっているサプレッションチェンバーを守ることが先決だと考えていた。

解析担当者は、安堵した。その一方で、最後は、SR弁を開いて減圧しなければならないと思っていた。ベントに成功したあとは、SR弁を開いて原子炉圧力を減圧して、水を流し込まなければならないのだ。

そもそも、こうしている間にも原子炉水位はじわじわと下がっている。

恐いのは、サプレッションチェンバーの破損だけではなかった。免震棟は、SR弁を開けたら、原子炉から高圧の水蒸気があっという間に格納容器に抜け、原子炉の水位が急激に下がることを憂慮していた。原子炉を減圧すると、中の水が沸騰して、水が一気に減る「減圧沸騰」という現象である。

主蒸気逃がし安全弁とも呼ばれるSR弁は、原子炉の冷却機能が失われた非常事態に使われる重要な機器。しかし、メルトダウンを食い止めるはず の安全装置は、メルトダウンが進むとかえって使えなくなるという、構造的な欠陥を抱えていた CG:NHKスペシャル『メルトダウンⅡ連鎖の真相』

このため、すぐに注水しないと、原子炉の燃料がむきだしになり、メルトダウンに至ってしまうのだ。

免震棟と東京本店は、ベントを午後5時に行うことを決めた。吉田が改めて確認する。

「5時ということですが、ベントラインが動作できれば、可及的速やかに5時を待たずにやるということも視野に入れてやるということでよいですか」

「それでやってください」

社長の清水が最終的なゴーサインを出した。

福島第一原発の最悪シナリオがもし起きていれば……近藤駿介内閣府原子力委員長が作成した「福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描」で明らかになった、最悪シナリオ発生時における移住を迫られる地域。近藤委員長は、最悪時には、福島第一原発から半径170キロ圏内が、土壌中の放射性セシウムが1平方メートルあたり148万ベクレル以上というチェルノブイリ事故の強制移住基準に達すると試算した。同試算では、東京都、埼玉県のほぼ全域や千葉市や横浜市まで含めた、原発から半径250キロの範囲が、住民が移住を希望する場合には認めるべき汚染地域になると推定した
CG:DAN杉本、カシミール3Dを用いて作製。高さは2倍に強調している

紆余曲折の末、格納容器のベントに向かって動き出したが、作業はのっけからつまずく。吉田は、いずれRCICが停止することを見越して、仮設照明用小型発電機を使って電気で動くベント弁を開く準備を整えていた。しかし、肝心の発電機が過電流により停止してしまったのだ。

そこで、空気圧で動くAO弁と呼ばれるベント弁を開く作業に取りかかる。

「ウェットウェルベント。AO弁、開にします」

「ドライウェル圧力低下、確認できません」

「ベントができているのか?」

「空気が足りないと思われます」

「2号機、中央制御室、ベントできていません!」

既設の空気ボンベでは、ベント弁を開く十分な空気圧が得られなかったのだ。相次ぐトラブルに免震棟にいる幹部も動揺を隠せない。

「格納容器の圧力は?」

「急速に上昇。現在700キロパスカル。さらに格納容器内の線量も上昇。FP(消火系ライン)が格納容器内にたまっています」

「ベントを急ぐしかない!」

窮地に陥った復旧班は、既設の空気ボンベに加えて、2号機のタービン建屋の大物搬入口付近に配備した可搬式のコンプレッサーを配管に接続して、空気を入れ込もうとした。ベント弁につながる配管がタービン建屋の入り口までのびていることに目をつけ、その配管にコンプレッサーを接続して、空気を送り込もうというのだ。

可搬式コンプレッサーの空気圧でベント弁を開ける作戦は、1号機が水素爆発を起こす1時間半前の3月12日午後2時すぎに行われ、成功したものだった。このときの実績から復旧班は、今度もこの作戦を進めたのである。

しかし、今回はなぜかコンプレッサーを起動しても、ベント弁が開く気配がない。1号機で通じた作戦が2号機では通用しない。復旧班は混乱した。

「ドライウェル圧力740キロパスカル。高止まりしています」

「格納容器内の線量も上昇。29ミリシーベルト」

「2号機、まだベント実施できておりません。格納容器内の線量が上昇し続けています」

午後4時20分すぎ、ベント作業にあたっていた復旧班から「すぐにはベントができない」という報告が吉田にあがる。即座に原因はわからない。復旧班は、何らかの原因で空気圧が十分でなく、確認しなければならないと説明した。

すかさず吉田が聞く。

「それは、どれくらいのスピードでやるの?」

復旧班が答えた。

「これは圧が見えないので、動くまで待つしかないですね」

確認に時間がかかるという見通しだった。

「それじゃあだめだよ」失望を隠せない様子で、吉田が言った。

にわかにベントに暗雲がたちこめてきた。そのときだった。テレビ会議のやりとりを聞いていた社長の清水が、突然発言した。「吉田さん、班目先生の方式で行ってください」

ベントを優先するのではなく、班目が言っていたようにただちに2号機のSR弁を開いて原子炉を減圧し、消防車による注水を開始しろと指示を出したのだ。

社長が示した突然の方針転換だった。

吉田が、とっさに「はい。わかりました」と答える。

「それでやってください」。清水は重ねて言った。

慶応大卒の清水は資材畑が長く、原子力については専門外だったが、2号機の危機に際して現場の判断よりも班目春樹原子力安全委員会委員長の判断を優先した 写真:NHK

しかし、清水は会社トップの社長とは言え、資材畑が長く、原子力は専門外である。さすがに吉田は原子力部門の意見を聞こうとした。

「本店の社長の指示が出ましたけど、技術的に武藤本部長、大丈夫ですか?」

しかし、このとき、原子力部門トップである副社長の武藤は、オフサイトセンターからヘリコプターで本店に移動中で、不在だった。回答はない。

清水が念を押す。「大丈夫だね?」

結局、吉田はベントの準備も並行して行うことを確認したうえで、SR弁を開いて減圧することを決めた。

技術班の解析担当者は、身震いした。SR弁を開いた途端に原子炉の水はあっという間に減ってしまう。それだけにタイミングを見計らってすぐに注水しなければならない。注水できないと、2号機の原子炉の水位が急激に下がって、燃料がむき出しになり、一気にメルトダウンに突き進む。電源も水源もある普通の状態でも難しいオペレーションだった。それを何もかも普通どおりにできない状態でやらなければならないのだ。

「失敗したら地獄のようなことになる」そう思った。

ベント作業を指揮していた復旧班長は、方針転換もやむなしと思っていた。

「これ以上待っていると燃料が損傷してしまう。とにかく減圧して水を入れないとかえってひどいことになる」

そう振り返っている。

午後4時34分。1、2号機の中央制御室は2号機のSR弁を開く作業に入った。中央制御室には、前日の13日朝に、構内の車からかき集められた12ボルトバッテリー10個が運び込まれていた。3号機に運んだときに、2号機にも運び込んでいたのだ。直列に10個並べたバッテリーをSR弁の制御盤に接続した。3号機のSR弁を開いた秘策を2号機でも行ったのだ。

3号機では、構内の車からかき集められた12ボルトバッテリー10個を直列につないでSR弁の制御盤に繋げるというアクロバティックな手法で、SR弁を開くことに成功した。しかし3号機では成功した方法が2号機ではなぜかうまくいかない。格納容器の圧力は上がり、消防車による注水も進まない。事態は危機的な状況にあった
写真:NHKスペシャル『メルトダウンⅡ 連鎖の真相』の再現ドラマ

しかし、SR弁は開かない。何度試してみても、SR弁は開かず、原子炉圧力は70気圧のままだった。原因はわからなかった。

1号機のベント弁を開けるために可搬式コンプレッサーを配管に接続して空気を注入する作戦。バッテリーが枯渇した3号機で直列に10個バッテリーを並べて、SR弁を開ける方法。いずれも事故対応に苦しむなかで福島第一原発のたたき上げの社員や復旧班のベテラン社員たちが知恵を絞り出して編み出した方法だった。その最後の手段を使って、1号機や3号機でなんとか修羅場を乗り越えてきた。しかし、今、危機が迫る2号機は1号機や3号機で通じた最後の手段さえ通用しない。

ベントもできない。SR弁も開かない。なす術がなかった。2号機の操作は完全に行き詰まってしまった。こうしている間にも、原子炉の水位は刻一刻と下がっている。

なぜ開かないんだ。復旧班長は気が動転した。

胃に痛みが走った。「まるでお腹の中に鉛が入ったようだ」。そう思った。

解析担当者の頭には、最悪の事態がよぎった。

このままいったら、やがては格納容器が高圧破損して、本当に壊れることになる。そうなったら、チェルノブイリ事故のようなことになる。そこらじゅうを汚染してしまい、自分たちも生きてはここを出られない。それは地獄だ。

吉田の隣で指揮をしていたユニット所長の福良はこう振り返っている。

「それはもう切迫感があった。2号機が減圧して、次のステップにいけなければ大変な事態になる。大量の放射性物質が外に出ることになりかねない。そうなれば、外に出られなくなり、いずれ1号機、3号機も注水できなくなる。2号機を減圧して、水を入れられるような状態にしなければならないというのは、全員がそう思っていました」

もし、2号機が減圧できずに格納容器が壊れ、大量の放射性物質が外部にまき散らされたとしたら。それは取り返しのつかないことを意味した。

1986年のチェルノブイリ原発事故では、メルトダウンした核燃料によって原子炉が爆発し、大量の放射性物質が外部にまき散らされた。事故対応にあたった作業員や消防士などおよそ30人が急性放射線障害で亡くなっている。人は6000ミリシーベルト以上の放射線量を全身に浴びるとほぼ全員が死に至る。

『メルトダウン 連鎖の真相』には貴重な写真や図版、そして事故対応にあたった東京電力技術者の証言がが多数収録されている

『メルトダウン 連鎖の真相』には貴重な写真や図版、そして事故対応にあたった東京電力技術者の証言がが多数収録されている

1999年、茨城県東海村で起きたJCOの臨界事故では、35歳と40歳の男性作業員が1万ミリシーベルト以上の放射線を浴び、全身の皮膚が炎症し、内臓の機能が失われ、亡くなった。それは絶対にあってはならないことだった。

復旧班は、SR弁をなんとか開こうと考え得る限りの策を試みた。SR弁は格納容器に8つついている。最初に開かなかった弁の制御盤からバッテリーをはずして、次々と別の弁の制御盤にバッテリーを接続したり、バッテリーの配線をいったんすべてはずして、つなぎ直したりしていた。さらに電圧を上げるため、10個のバッテリーを11個に増やすことにも挑んだ。

「電磁弁に直接つなごう」

「SR弁(電磁弁に)直接バッテリーをつなぎました!」

「了解。原子炉減圧確認」

「了解。原子炉圧力……。低下を確認できません。さらに上昇傾向」

「なんで減圧できないんだ!」

じりじりと時間がすぎていった。

(第3回に続く)

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NHKスペシャル『メルトダウン』取材班
「事故はなぜ起こったのか」「人類は原発を制御できるのか」。福島第一原発事故から2年が経ったにもかかわらず、いまなお多くの謎が残され、事故の検証作 業はまだ途上にある。NHKでは、原子力問題に精通した取材記者、番組制作者からなる取材班を結成し、400人以上の関係者に取材、各種事故調でも触れら れていない独自の視点で多角的に事故を検証した。本書は、NHKスペシャル『メルトダウン 福島第一原発あのとき何が』(2011年12月18日放送)、『メルトダウン 連鎖の真相』(2012年7月21日放送、第67回文化庁芸術祭テレビ・ドキュメンタリー部門大賞受賞)、『メルトダウン 原子炉「冷却」の死角』(2013年3月10日放送)で取材した関係者の証言や記録をもとに、書籍として再構成したものである。
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