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福島第一原発事故 東日本壊滅の危機に最も近づいた「2号機爆発」の真相 第1回

ドキュメント 福島第一原発事故 東電技術者たちが語った「恐怖の瞬間」
NHKメルトダウン取材班が2013年に執筆した『メルトダウン 連鎖の真相』。事故を時系列に忠実にノンフィクションとして書き下ろしたもので、 作家の立花隆氏が「圧倒的に情報量が多い。内容的にも最良」(2013年7月11日号)と絶賛した。写真や図版も多数収録されており、事故の全体像がわかると専門家からも高く評価されている

福島第一原発事故からはや4年が経ち、事故に対する関心は薄くなり、人々の記憶の中で原発事故は風化しつつある。しかし、いまなお12万人が避難生活を余儀なくされており、事故原因の究明も遅々として進んでいない。2014年に公開された政府事故調・吉田調書によると、吉田昌郞・福島第一 原発所長は、東日本が壊滅するイメージを持って事故対応に当たったという。近藤駿介内閣府原子力委員長によるシミュレーションでは、最悪シナリオ時には、 東京都、埼玉県のほぼ全域や千葉市や横浜市までを含めた、原発から250㎞の範囲が「汚染地域」になると推定していた。東日本壊滅の危機は、SFではなく、現実に存在していたのである。

誤解を恐れずにいえば、最悪シナリオを回避できたのは「奇跡」であった。東京電力や政府の事故対応はことごとく失敗し、原子炉格納容器破損は不可避の状況だった。だが、原子炉格納容器の破損は最終的に回避された。なぜ危機を回避できたのか、いまもって分かっていない。事故対応に当たった東電技術者すら、彼らが行ったどのオペレーションが功を奏して事故を防げたかを把握できていない、という。

福島第一原発事故のような危機を二度と繰り返さないためにも、私たちは日本人は事故に真摯に向き合い、事故原因の究明を続けていく必要がある。4年前の今、私たち日本人がどのような危機に瀕していたのか? 吉田所長が「死を覚悟した」2号機の危機を克明に描いた、『メルトダウン連鎖の真相』(講談社)の 第7章を3回にわたって転載する。

4号機高線量の謎    3号機爆発まで2時間

福島第一原発に出されていた退避命令が解除されて1時間半が経った14日午前9時すぎ。5人の男がトラックに乗って4号機に向けて出発した。4号機の使用済み燃料を保管するプールの水温の上昇を抑えるためだった。燃料プールの温度は、通常30℃前後だ。それが、13日午前11時50分に78℃まで上昇し、14日午前4時8分には、84℃まで上がっていた。

4号機は、シュラウドと呼ばれる原子炉の中にある巨大な構造物の交換工事が行われていたため、原子炉からすべての燃料を取り出し、プールに入れていた。プールにおさめられていたのは、使用済み燃料が1331体、まだ使っていない新しい燃料が204体、あわせて1535体あった。その数は2号機や3号機の3倍近くに上った。使用済み燃料は、熱を帯びている。免震棟の技術班が解析した発熱量は、4号機の場合、226万ワットに上ると推定されていた。家庭で使われる炬燵は、およそ600ワット。換算すると、4号機の使用済み燃料は、炬燵3800台近くに上る発熱量を持っていた。熱を帯びた使用済み燃料の発熱によって、プールの水温は、じわじわと上がり、全電源喪失から60時間あまりの間に、およそ50℃も上昇していたのだ。