盗っ人猛々しい安倍政権とテレビ局
『週刊現代』官々愕々より
1942年、太平洋戦争の際のポスター。当時流行した標語は「欲しがりません勝つまでは」だった
〔PHOTO〕gettyimages

1月7日、フランス・パリ11区で、風刺週刊紙を発行する「シャルリー・エブド」本社が武装テロリストに襲われ、編集長、風刺漫画担当者、コラム執筆者ら合わせて12人が殺害された。さらに、別の実行者による警官襲撃事件とパリ東端部のユダヤ系食品スーパー襲撃事件と連続してテロ事件が発生。特殊部隊により計3名の犯人が射殺されたこの事件は世界中を驚かせた。

恐怖と悲しみに覆われる中、フランス全土で行われた1月11日の370万人の大々的なデモ。表現の自由を守ろうとするフランス市民の志の高さを示す大規模デモは、まさに圧巻だった。

ただ、テロの原因となったこの新聞に掲載された風刺画はかなりどぎつい。イスラム教の預言者ムハンマドを裸にしたりと、イスラム教徒にすれば明らかに侮蔑と映る風刺画を載せていた。そもそもイスラム教は偶像崇拝を禁じている。ムハンマドの顔を描くこと自体が許されない。

日本ならば、天皇を茶化した漫画に当たるだろうか。私はフランスに3年間滞在したことがあるが、その間、この手のどぎつい風刺画に何度か違和感を覚えた記憶がある。彼らの風刺画の特徴は、社会的な弱者やマイノリティの気持ちを傷つけかねないようなものでも、平気で表現することだ。日本とはかなり文化が違うなという印象を受けた。

しかし、今回の事件で私がより強い違和感を覚えたのは、この問題に関する日本の反応だった。

まず、呆れたのは、安倍晋三首相の言動だ。テロ直後、安倍首相は「言論の自由、報道の自由へのテロを断じて許さない」と表明した。言っていることは当たり前のことだが、一方で安倍政権はこれまで表現の自由を抑圧する姿勢をしばしば見せてきた。盗っ人猛々しいとは、まさにこのことだろう。

その典型が昨年末の衆院選前に、テレビ・新聞などの選挙報道に圧力をかけた自民党の要請文だ。「街頭インタビューは公平に行え」などと露骨な圧力をかけて、メディアを萎縮させてしまった。表現の自由は大切と口にしながら、やっていることは正反対。二枚舌と批判されても仕方ない。

メディアの対応にも違和感を覚える。特にフランスでの反テロデモを大々的に報道し、「表現の自由は大切だ!」と連呼するキャスターやコメンテーター。自分の膝元では、安倍政権が送りつけてきたこの要請文に反発するどころかニュースとして報じることさえ避けた。しかも、経営陣は首相との会食を繰り返すなど政権との馴れ合いを深めている。恥というものを知らないかのようだ。

もし、フランスで政権党がこのような要請をマスコミにしたら、テレビ局関係者がいっせいに立ち上がり、それに呼応した国民とともに大規模な抗議デモが起きていたはずだ。

しかし、日本ではそのような動きは見えない。わが国では、戦前、特高警察による言論弾圧が行われ、政府批判や「戦争反対」を唱える者はすぐに検挙拘束され、言論は抹殺された。日本があの無謀な戦争に突入し、悲惨な結末を迎えた原因の一つが表現の自由の喪失だった。そうした歴史的事実がまるで忘れ去られてしまったかのようだ。

表現の自由にどんな制約があるのか。いくら議論しても正解はみつからないかもしれない。それでも、日々議論を続けることが必要だ。

そこまで考えて、ある疑問が湧き起こってきた。そもそも私たち日本人は、その議論以前に、この人権を本当に大事なものだと思っているのであろうか、と。

『週刊現代』2015年2月7日号より

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