『ふたつの震災』 阪神・淡路の20年から
【第4回】被災地に「しあわせ運ぶ」歌の物語(前編)

取材・文/西岡研介
「しあわせ運べるように」を歌う神戸の西灘小合唱団の児童たち。指揮は作者の音楽教諭、臼井さん

2014年12月13日午後6時。ちょうど20回目を迎えた神戸ルミナリエの光があふれる東遊園地に子供たちの澄んだ歌声が響いた。

地震にも 負けない 強い心をもって
亡くなった方々のぶんも 毎日を 大切に 生きてゆこう
傷ついた神戸を もとの姿にもどそう
支えあう心と 明日への 希望を胸に
響きわたれ ぼくたちの歌
生まれ変わる 神戸のまちに
届けたい わたしたちの歌 しあわせ 運べるように

『しあわせ運べるように』。この20年間、神戸をはじめ阪神・淡路大震災の被災地で歌い継がれてきた鎮魂と希望の歌だ。今年1月17日にもNHKが全国中継で取り上げたので、このメロディーを耳にされた方も多いだろう。

作詞作曲は臼井真さん(54)。神戸市立西灘小学校に勤める現役の音楽専科教諭である。

自責と孤独の中、天から降ってきた旋律

阪神・淡路大震災発生当時、34歳だった臼井さんは東灘区で被災。自宅は2階が1階を押しつぶすような形で全壊したが、家族は奇跡的に全員助かった。高齢の両親たちを北西に約10キロ離れた灘区の親戚宅に避難させ、さらにその親戚宅から南西に約5キロ、中央区にあった当時の勤務先、市立吾妻小学校(97年に中央小学校に統合され廃校)に出勤できたのは、発生から数日後のことだった。

が、この「発生直後にすぐに学校に駆けつけられなかった」という思いがトラウマとなり、後々まで彼を苦しめることになる。

臼井さんが出勤すると、職場は既に避難所になっていた。自分が家族を避難させている間も、同僚たちは避難所の運営や児童のケアに奔走していた。彼らは自宅が全壊した臼井さんを気遣ってくれたが、職場に彼の〝居場所〟はなく、自責の念と孤独感に苛まれた。発災直後に必要とされるのは、被災者の衣食住の確保であり、音楽ではなかった。疲れた表情を浮かべながらも慌ただしく働く同僚に囲まれ、「こんな時に『音楽の先生』は、いや、自分は何と役に立たないのだろう」と悩み、一時は職を辞すことまで考えた。

しかし、そんな臼井さん自身を救ったのもまた、音楽だった。

地震発生から約2週間後、職場から無力感を抱えつつ親戚宅に戻った臼井さんは、テレビに映し出された三宮の惨状を見て衝撃を受けた。自分が青春時代を過ごした街が破壊し尽くされているのを見て、「神戸の街は消えてしまった。もう、おしまいや……」と思った。

しかし瞬間、全く逆の思いが歌詞となって「体の奥底からわき上がってきた」という。

すぐそばに、従兄弟が2歳の子供のためにアンパンマンを落書きした紙と鉛筆があった。紙を裏返し、〈地震にも負けない……〉と鉛筆を走らせると、今度はメロディーが「天から降ってきた」。

それは出だしではなくサビ、つまり〈響きわたれ ぼくたちの歌〉の部分だった。ソドドドレミミレドシーソラシー……曲が完成するまで10分とかからなかった。

学生時代はシンガーソングライターになるのが夢だった。いくつもの曲を作詞作曲し、ヤマハの「ポプコン(ポピュラーソング・コンテスト)」に応募したこともある。「けれどもこれが全然ダメで、いつもテープ審査の段階で落ちていました。審査員評も『歌詞は面白いけど何かイマイチ』みたいなものばかりでした」。

しかし、「音楽の先生」になった臼井さんは、作詞作曲の才能を開花させる。学生時代にはなかった「歌うべきテーマ」が見つかったからだ。子供たちである。彼らは臼井さんにとって、自らが作った歌の「最初の歌い手」であり、厳しい審査員でもあった。

後に臼井さんは、この『しあわせ~』も含め、小学生が学校生活の中で歌う300曲以上の歌を作詞作曲し、その一つ、『みえない翼』は今も多くの神戸市内の小学校で音楽会のエンディング曲として使われている。

震災の1年前には、当時勤務していた吾妻小で「しあわせを運ぶ天使の歌声合唱団」を結成。子供たちがプラカードを掲げ、校内や街の人びとのもとに歌を届ける「歌の宅配便」というユニークな授業も展開していた。この歌の題名が『しあわせ運べるように』となったのには、そういう理由があった。

だが、曲はできたものの、それを披露するのはやはり躊躇した。こんな時に音楽なんて……との思いが自分の中に拭い難くあったからだ。恐る恐る先輩教諭に聴かせると「これこそ共生の歌や」と背中を押してくれた。

震災発生から約1カ月後、2月も半ばに入ってようやく一部の授業が再開され始めた。震災後初の音楽の授業で子供たちにこの曲を紹介した。模造紙に歌詞を書いて黒板に貼った。楽器は電子ピアノしかない。まずは自分で歌って聞かせ、その後に音取りをして子供たちに歌わせる。

いまだ避難所でもある学校で、その運営を手伝い、被災者を支えていたボランティアの何人かが授業を見学に来ていた。子供たちの歌声を聞いた彼らが涙を流すのを見て、臼井さんはこの歌の「届く力」を感じたという。

学校が正式に再開された2月27日の朝会で、初めて全校児童が声を合わせて歌った。そして、学校で避難生活を送る被災者たちも。授業再開から2週間ほどの間に、歌に共感した同僚の教諭たちが歌詞を印刷し、各教室で避難生活を送る人たちに配ってくれていた。毎朝の校内放送では子供たちの歌声を流していた。『しあわせ~』は吾妻小の児童ばかりか、避難者にとってもすっかりなじみの曲となっていたのだ。

伴奏しながら、子供たちと避難している人たちがともに歌う姿を見て、臼井さんはようやくトラウマから救われたような気がした。

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